歴史上の偉人の死は謎に包まれていることが多い。毒殺など人の手によって殺されたケースは言うまでもなく、病死したケースですら、複数の病気が候補に挙がり、他殺説も飛び交っているのが実情だ。これらの背景にあるのは、死までも偉人を偉人として扱いたい周囲の人間の思惑だろう。
本書は、アレクサンドロス大王からコロンブス、モーツァルト、エドガー・アラン・ポーなど歴史上の12人の最期を、伝承や行動記録に現代医療の知識をすりあわせ、死因を解き明かしていく。伝承の症状を現在の病気にあてはめ、候補となる病気の特徴を示し、答えを探していく様はスリリングであり推理小説のようでもある。類似疾患の区別にもこだわっており、簡単な医学書、医学史としても読める。
こうした健康や病歴を中心に見ることでこれまでと違った歴史が浮き彫りにもなる。例えば、ジャンヌダルクの病気と業績は結びついており、ローマの皇帝クラウディウスは病気がちであったからこそ、暗殺対象にならずに生き残り、結果的に皇帝になった。病気であったからこそ、歴史に名を残したと言えるだろう。
逆に、病気や体調不良が大して影響を与えなかった場合もある。ベートーベンは進行性難聴であっても作曲活動を続けられたし、アレクサンドロス大王は慢性的な下痢に悩まされながらも広大な帝国を築いた。
これまで、伝記において、病気などに関する記述はあまりにも少なかった。偉人と言えば、生い立ちや作品、交友関係が中心だ。誰にも平等に訪れる死や病気に焦点を当てることは非凡である偉人にふさわしくないということなのだろう。死後間もない伝記においても、記述は少なく、時代を追うごとに、資料不足からなおさら書かれないということになる。そのような意味では、偉人の死や病気を中心に新たな人物像を紐解いた本書は従来の伝記を補完するものになるだろう。
病気や死はその人間の地位や才能に関係なく偉大な者も平凡な者も襲う。死が平等に訪れる以上、偉人であろうが、偉人らしからぬ死に方を迎えることはある。こうした自明なことを本書は最先端の医学的な診断のより再認識させてくれる。モーツァルトやポーは他殺説も流れるが、モーツァルトは腎不全でポーがアルコール中毒で平凡に死んだことを拒絶することは難しい。
偉人の死に際について書かれた本と言えば、日本では、山田風太郎の『人間臨終図巻』が有名だ。『人間臨終図巻』が一部で人気なのも、死の平等性にあるのだろう。『人間臨終図鑑』が好きな人は本書も気に入るかもしれない。一読をすすめる。
著者はメリーランド大学医学部内科教授。感染症を専門とする。