著者の菊池氏(明治大学理工学部教授)はオーストリア文学が専門である。「ヨーロッパ研究者がなぜ警察モノ?」と思われるかもしれないが、本書のねらいはヨーロッパで近代警察が誕生するまでの背景、さらには警察史を通じて見えてくる「新しいヨーロッパ史」を描き出すことにある。日欧の歴史モノやサブカルチャー好きの方にもおススメの一冊である。
本文は序章・江戸の警察組織から話が始まる。徳川江戸幕府も古代・中世ヨーロッパ同様、「小さな政府」であった。役人・町奉行の数は驚くほど少なく「鬼平」で有名な火付盗賊改ですら30〜40名。これではとても犯罪捜査まで手が回らない。そこで、町奉行所の同心は、自費で手先を雇って捜査にあたらせていたものの、ポケットマネーだけではとても養っていけない。そこで登場するのが「引き合い」である。手先である目明しは、捕らえた盗人から前科の盗みを聞き出すと被害者を訪ね回り、「訴え出れば一日がかりの御白洲で一日がかりの上、町役人への礼代もかかる。黙っていてやるから心づけを」とささやく。あろうことか被害者からお金を巻き上げていくのである。
第一章からは舞台をヨーロッパに移し、古代や中世の警察組織の成り立ちに話は進む。ここでも警察は市民の味方ではないようだ。古代ギリシャのポリスに語源を持つ警察。アテネ、スパルタでは政府に対する犯罪予防が第一の目的とされ、住民を犯罪から守ることには主眼が置かれていなかった。警察は主に公安を担い、その成り立ちからして「国家のイヌ」という状況だったようだ。
ついで中世の治安事情は、まず都市や町を一歩出れば無法地帯の森の中。住居は大海原の浮き島のようなもので、旅は命がけであった。それならば、と身銭を切って護衛を雇おうとすれば有償護衛は王や領主の収益特権。「セコムしてますか?」とばかりに、安全保障が商売の種に早変わりしてしまう。
他方、中世都市に暮らす人々にとっての脅威は疫病に火災。その根源を叩け、とばかりに警察が張り切るとどうなるか? 彼らの規制欲に火がついて、都市の衛生向上のために「豚放し飼いするべからず」「窓から不浄物捨てるべからず」云々とやり始め、加えて事細かな消防規定も定め始める。ここに住民の生活全般に干渉するモンスター警察が誕生した。このように、その成立過程からして警察と「市民への過干渉」「国家のイヌ」「利権大好き」の3点セットは腐れ縁にあるようだ。
近現代の警察組織を語る上で筆者が取り上げたのは、パリとイギリスの二潮流である。
パリと言えばフランス革命。そして、ロベスピエールとナポレオンという二人の英雄に仕え、狡猾に乱世を生き抜いた政治家フーシェがパリ警察の祖である。警察大臣となったフーシェは、皇帝や国王ですら監視の対象として、支配者の恣意に左右されない全国的に一元化した情報収集ネットワークを構築。権謀術数の手腕を振るいながらも国民監視体制を作り上げることで治安改善を図っていった。
他方、革命では先輩格にあたるイギリスは、アンチフランスよろしくあからさまな警察による国民監視を良しとしない。産業革命後の格差社会で犯罪が多様化する中、必要に迫られて中央集権的な警察組織は作り上げるかたわら、警察権発動を最小限に抑える試みが続けられる。警察を市民に溶け込ませるよう腐心し、彼らの給料を固定給化したり犯罪予防に捜査の重きを置いたりと、彼らの打ち出した様々な施策や方針は、今でもヨーロッパをはじめ各国の警察制度に取り入れられている。
では、現在の日本の警察組織の潮流はと言うと、実はフランス型なのである。わが国の警察制度の創始者である川路利良は、西洋視察の折にパリの警察組織に感銘を受け、フーシェを自らの理想とし、フランス流の国家警察を自国に導入した。ジョセフ・フーシェと言えば思い浮かぶのが、オーストリア出身作家ツヴァイクによって書かれた伝記小説。ギロチンで首が飛び交うすさまじい世の中を、権謀術数で飄々と生きた彼。今も我々の住む街の治安が、もとは彼の考案した警察制度で守られているのかと思うと、何やら首筋に涼しいものを感じるのは気のせいであろうか。