『ミドリさんとカラクリ屋敷』
鈴木遥(著)
集英社 (2011/05/26)
映画になりそうな本だ。
私だったら、オープニングは、ミドリさんが病院に入ってきて「女の水戸黄門だ」と言われているシーンにする。その後、時代を遡り、女子高生が自転車でカラクリ屋敷の前を通る場面に切りかえる。
高校生の頃、作者の鈴木さんは、電信柱が屋根から突き出している不思議な家を見つけた。そして大学進学と引越しが決まった時、思いきってその家を訪問した。出てきたのが87歳の木村ミドリさんだ。87歳と18歳の物語の始まりである。鈴木さんが京都に行った後も、2人の交流は続き、「カラクリ屋敷」の秘密が徐々に明らかになっていく。
話は明治に遡る。ミドリさんの祖父母と両親が、新潟から北海道に移住して「新潟村」を作った。鈴木さんは、その頃からミドリさんを追って本を書くことに決めた。代々、脈々と受け継がれてきた「からくり部屋」が、北海道移民たちの人生の縮図のような気がしてならなくなったからだ。
新潟村には“職人”が集合していた。移民の村だから、自分でなんとかできる人だらけなのも納得できる。ちなみに隣の村はこつこつ働く「広島村」だ。20歳で結婚するまで、15人兄弟でワイワイと生活した。背が高く、ちょうど普及期だった「電信柱」というあだ名がついた。背が高かったから、村で2人だけの女性の自転車乗りになった。大正時代だ。『ハイカラさんが通る』である。
結婚してからは札幌でりんご農園をやった。戦時中は、全然知らない人を滞在させて大家族になった。戦後は東京で寮の管理人(兼料理人)になるから、結局ずっと大家族だ。
先月の課題本 『ご先祖様はどちら様』 が、多くの人と場所を訪れることで描いた内容を、本書は1つの事例を追うことで描いている。鈴木さんとミドリさんの、10年以上の不思議な繋がりのお話だ。正確に言うのであれば、『ミドリさんとカラクリ屋敷と私』だろう。
だから、本書は開高健ノンフィクション賞の次点に選ばれたけれど、誰かに何かをアピールするというよりは、ミドリさんをちゃんと記録しておきたいという文章に思える。そこまで必要か?というくらい念入りに注釈が入れられているのは、記録のつもりで書かれているからだろう。逆に、夫が病院から抜け出すシーンが極めてあっさりと書かれているのは、たぶん、そのほうが気持ちが伝わるからだ。そこで省かれている「夫が苦手だったこと」は、ずいぶん前のほうに描かれている。電信柱を家の中に入れよう、と提案したのもミドリさんの夫だ。「電信柱」だったミドリさん、電信柱のある家に住むことになった。アパートにみどり荘という名前をつけたのも「自分のほうが早く死ぬから」と旦那が言ったからだが、長生きして欲しいという意味ともとれる。これらの場面は、大体あっさり書かれている。記録に必要な情報は徹底して書く一方、過剰な野暮はしない。ミドリさん、良い人生だ。良い夫がいたし、良い作者に出逢った。
映画の最後はお花見の場面かなあ。私の勝手な想像では、札幌にいた頃にはりんご園でお花見していただろう。リンゴも案外、桜の花に似ている。本人に聞いてみたいような気もするけれど、こうやって空想しているのが楽しい気もする。そこは、別にフィクションでもいいのだ。それよりも、自分も何か、ほのぼの楽しいことをやっていったらいいのだ。たぶん。