ペドファイル(児童性愛者)という言葉で私の頭の中で真っ先に思い浮ぶのは宮崎勤だ。しかし、Wikipediaによると彼は本質的な児童性愛者ではなく、成人女性と上手く関係を結べない為に、少女たちを代替物としていた。という精神鑑定が出ているそうだ。では、本来的な児童性愛者とはどのような人たちなのだろうか?本書の著者でもあるマーゴに性的な行為を行っていたピーターが本質的なペドファイルかどうかは私にはわからない。しかし、宮崎勤のイメージやテレビなどで一種の形のように描かれている、暴力で少女達に猥褻な行為を繰り返すそれとは違う、ペドファイルの姿が本書では書かれている。
母に連れられて訪れたプールでマーゴとピーターは知り合うことになる。ピーターは51歳、マーゴ7歳の夏だった。ピーターはハンサムで社交的かつ柔和な性格だ。子育てや夫との関係で精神疾患を患っていたマーゴの母親と家庭的に問題を抱え、学校でも浮いた存在で周りに溶け込めない孤独な少女マーゴがピーターに魅了されるのに時間はかからなかった。
ピーターはイネスという女性と内縁関係にあり、彼女が夫から相続した一軒家でイネスの連れ子2人と共に暮らしている。この家の地下室でマーゴは8歳のときに性的な行為を迫られる事になる。しかし、それは暴力的な方法ではなく、より狡猾で人の心理を利用したものだ。マーゴの父は神経質で事細かなルールを家族に課し、家族を精神的に消耗させていた。マーゴの母が日々ピーターに繰り返す愚痴からその事を知っていたからなのか、それともピーター本来の性格からか、彼はマーゴにルールを押し付けなかった。好きなように振舞わせ、遊ばせ、マーゴとの間に友情と信頼関係を厚く築いていたのだ。マーゴにとってピーターとの関係は家庭と学校で感じる疎外感からの唯一逃れられる場所だった。嵐にあった船が近くに港を欲するように、マーゴにとってはピーターの存在が必要だったのだ。この信頼関係を餌にピーターは自分の誕生日へのプレゼントとして、彼女の自身の意思であるかのように装い、性的行為を受け入れさせたのだ。
しかし、ピーターという港に身を委ねてしまったマーゴはそこから抜け出すことが出来なくなる。というのも2人の関係はピーターの自殺で幕を下ろすまで、15年の長きに渡り続くことになるからだ。ピーターは遊びなどでマーゴにルールを課したりしなかったが、彼の価値観や好みをマーゴにすり込みコントロールしていく。なにより、ピーターとの関係でマーゴがなにより失ったものは時間だろう。2人が関係を結ぶことにより、彼女は普通では持ち得ない秘密を抱えることになってしまった。その秘密が、学校で浮いた存在だったマーゴを、より周りから隔絶した存在にさせてしまう。そしてそれはマーゴの精神に大きな歪みをもたらす事にもなる。その結果、彼女はよりピーターへの依存度を高め、青春時代に経験する多くの貴重で素晴らしい物事を何一つ行うことなく、初老の男性との関係だけに時間を費やすことになってしまったのだ。
だが、より重要な点はピーターもまた、マーゴに依存しているように見えることだ。一度きりの性欲を満たすための行為ではなく、ピーターは本気で少女であるマーゴに思いをよせていたのだ。彼は一見、社交的な性格なのだが、どこか大人になりきれていない、幼児性を残した性格で、真の友人も居らず、成人した人々とまともな人間関係を結べていないように見える。ピーターがマーゴに語った内容によると、彼は幼い頃に父親から虐待を受けており、さらには年上の少女から性的虐待を受た経験もあるようだ。その為なのか、本書の中では社会生活に馴染めなかったピーターの半生が見え隠れする。ピーターもマーゴ同様に社会に対し大きな疎外感を感じているひとりなのだ。そんなピーターにとっては自分を受け入れた(仮に彼のコントロールの結果であったとしても)マーゴは彼の女神であった。ピーターはマーゴの様々な思い出の品を自室に蒐集し、それらの品をまるで聖遺物とでも言わんばかりに大切にした。ピーターとマーゴが多くの時間を過ごしたその部屋は、まさにマーゴの神殿だったのだ。
この本の複雑さはそこにあると思う。被害者と加害者には曲がりなりにも愛情か、それに近い感情が存在しており、当時、疎外感にさいなまれていたマーゴにとって、ピーターの存在はなくてはならない物のように思えていた。彼女はソーシャルワーカーからピーターを守りさえする。しかし、それは負の連鎖をより大きく反響させる、魔の響きでもある。この関係の複雑さや閉塞感は読んでいて胸が押しつぶされそうになる。また、性行為の際に彼女が物語を作り、その役を演じなければならない話を読むとやはり、健全な少女である彼女にとって、初老の男性と関係を持ち続けることへの密かな抵抗感が感じられる。マーゴのピーターに対する複雑な感情が、いたる所で行間に滲み出ている。
またもうひとりの重要人物は著者の父親だろう。本書の隠れた課題は、父と家族の関係にあると思う。といのも本書では非常に多くに部分が父との話で占められているからだ。彼も社交的な性格で、バーでは人気者だが、異様に信念が強く、世間体に敏感で一流の男として見られたがる性格だ。だが、経済的にはあまり成功しておらず、その高いプライドが求める社会的地位を獲得していない。彼の抑圧された気持ちが、家族を蔑視しさせ、抑圧的な行動へと駆り立て、疲弊させる結果に向っているように思える。彼の行動が妻を病に追い込み、家庭に不和をもたらし、マーゴをピーターの下へと逃げ込ませてしまったのではないか。彼もまた経済的に疎外された人物であり、その抑圧された感情が家族の支配と、その先の崩壊に大きく関係していたはずだ。
社会に対し、それぞれの感じ方で疎外感を抱く父とピーターという2人の男性の間に身を晒すことになるマーゴは、その負の連鎖と社会の歪みの犠牲者ではないだろうか。彼らの抑圧された感情が、マーゴの元に疎外的な環境を呼び込み、社会とは隔絶した世界を作り出す。そしてマーゴから多くの時間と必要な経験を奪い去ることになる。本書の中で垣間見る、貧困、家庭崩壊、疎外、無関心、暴力、その果ての孤独と閉塞感は読者である私の胸に重くのしかかった。だが、それでも聡明なマーゴが、自身の経験と心情を「本」という形で吐露し、前に進もうとしている姿にかすかな希望の光を感じる。きっと彼女ならこの負の連鎖を断ち切ることができるであろう。そう思うことで、胸の重荷を少し軽くし本書を閉じた。