プロ野球が、本当の意味で国民的スポーツだった頃の記録だ。
1994年10月8日。セ・リーグのペナントレース最終戦、巨人vs中日。この日までに129試合を消化した両軍の戦績は、共に69勝60敗。勝敗数が全く一緒の同率首位でピタリと並んでいた。そして、残された最終戦。リーグ優勝の行方を決める運命のカードは、ナゴヤ球場での直接対決となったのだ。最終戦で、同率首位の2チームが直接雌雄を決するというドラマチックな展開は、日本プロ野球史上初のことであり、現在もなお、これが唯一のケースだ。ちなみに、フジテレビ系列で全国放送されたこの一戦の平均視聴率は48.8%、瞬間最高視聴率はなんと67.0%という驚異的なものだった。
あの日、ナゴヤ球場には確かな熱気と興奮があった。当事者である選手達にとっても、日本全国の野球ファンにとっても、強烈に心を打つものが、間違いなく存在していた。あれから20年近い歳月が過ぎようとしているが、新聞記者、ジャーナリストとして長きにわたり日本プロ野球を追いかけてきた著者でさえ、あの興奮を超える試合には、いまだ巡り合っていないのだ。著者は、あとがきの中でこう綴っている。
” 野球というスポーツの醍醐味、プロ野球が持つ緊迫感、そして人と人がすべてをなげうって戦った人間ドラマとして、「10.・8決戦」はまさに「究極の試合」であった。”
実際、日本野球機構(NPB)が、当時の現役監督、コーチ、選手858人を対象として行った2010年のアンケート調査でも、このカードは「最高の試合」部門で1位に選ばれている。「10・8決戦」、それは20年の時を越えてなお語り継がれる本物の死闘だった。そして著者は今、改めて当時の関係者に対する綿密な取材を重ねることで、あの熱狂の再現を試みた。おそらくは、プロ野球の真の魅力を、もう一度見つめ直すために。
それにしても、本書は目次から素晴らしい。巨人・中日という両チームのファンに限らず、プロ野球を多少なりとも知る人間ならば、この目次を眺めただけで、間違いなく心を掴まれてしまうはずだ。以下に紹介しておきたい。
序章 国民的行事の前夜
1回 長嶋茂雄の伝説
2回 落合博満の覚悟
3回 今中慎二の動揺
4回 高木守道の決断
5回 松井秀樹の原点
6回 斎藤雅樹の意地
7回 桑田真澄の落涙
8回 立浪和義の悔恨
9回 長嶋茂雄の約束
終章 「10・8」後の人生
この目次だけで、十分に伝わってくる。この試合は、決して「130分の1」ではなかったのだと。優勝チームでさえ、年間60試合も敗れるのがプロ野球の世界。勝つこともあれば、負けることもある。しかし、1つずつのカードの重さは、常にイコールではない。絶対に譲れないゲーム、その他全てのカードとは決して並列で語ることのできない「究極の一戦」というものが、ペナントレースには必ず存在する。そして、この日ナゴヤ球場で繰り広げられたのは、まさしくそのような戦いだった。3時間22分という試合時間の中に、どれほど多くのドラマが凝縮されていたことか。本書の目次は、その事実を雄弁に語っている。
追いかけてみよう。ドラマの主人公たちと、そこから垣間見える「10・8」の深みを。
長嶋茂雄。
前日の10月7日夜。後に伝説として語り継がれることになるチームミーティングにおいて、長嶋は「勝つ!」というシンプルな叫び声を響かせ、選手達の闘争心を完璧なまでに焚き付けてみせる。やはり長嶋は長嶋だ。そのカリスマ性と人心掌握の巧みさは、見事という他ない。そして「国民的行事」となる翌日の最終戦、マウンドを託す人間はもう心に決めていた。槙原、斎藤、桑田の3本柱しかないと。
落合博満。
前年の1993年まで中日に所属していた天才。長嶋を胴上げするために巨人へと移籍した男。優勝請負人としての仕事ができなければ、ユニフォームを脱ぐ覚悟だった落合はこの日、自らのバットで中日のエース今中の心を折ることになる。ゲーム中盤の怪我で無念の途中交替となるが、全盛期を過ぎてなお、天才は天才だった。ここしかないという場面で、最高の仕事をしてみせたのだから。
今中慎二。
巨人キラーで鳴らした中日の絶対的エース。あの美しいスローカーブの軌道は、今も中日ファンの脳裏に刻まれている。しかし土壇場の最終戦にあって、ボールに本来のキレがない。そして、苦しい展開が続く中で迎えた3回、第2打席に立った落合に執念のタイムリーを打たれると、その後の記憶は残っていないという。あの今中をして、そこまで窮地に追い込んだものは何だったのか。
高木守道。
現役時代、長嶋に憧れ、長嶋との己の距離を知り、そして長嶋と別の道を歩むことを選んだ仕事人。頑固で強い信念の持ち主だった高木は、中日の将として、あえてこの試合を「130分の1」と捉えて臨むことを選択する。長嶋とは対象的に、当時の主軸だった山本昌、郭源治の投入を最後まで拒んだその采配は、良くも悪くも、高木守道という人間そのものだった。
松井秀喜。
後に日本球界を代表するスラッガーとなる怪物。当時はプロ入り2年目ながら、主軸打者として常人離れした落ち着きを見せていた。ワンポイント・リリーフとしてマウンドに上がった中日の左腕、山田喜久夫の投じた甘いカーブを叩いた打球は、ライトスタンド中段へと吸い込まれていった。(そして、この11年後、松井は海の向こうのベースボールで同じような極限のゲームに臨むことになる。)
斎藤雅樹。
絶対の安定感でチームを支えた円熟のエース。シーズン終盤の疲労が蓄積し、満身創痍の状態だった斎藤は、試合前から痛めていた右内転筋を、この日の登板で更に悪化させてしまう。キャッチャーの村田は「バカヤロー!切れてもええから投げろ!!」とまくし立てたというが、本当に投げ抜いた斎藤の精神力も尋常ならざるものがあったはずだ。
桑田真澄。
孤高の天才ピッチャーが投じるボールは、走っていた。この試合に賭ける桑田の強い思いは、一球一球に乗り移っていた。PL学園の後輩である立浪が執念の内野安打を放つも、桑田の心は折れなかった。ちなみに試合前日、グラウンドをジョギングしていた桑田がひそかに流した涙は、もう1つのドラマだろう。こればかりは、本書を読んでもらいたい。プロ野球の世界に身を置いた瞬間から、桑田が宿命として背負い続けてきた影を、前日の涙が洗い流したのだ。
立浪和義。
甘いマスクと抜群のセンスを備えた中日のスタープレーヤー。1塁ベースには決してヘッドスライディングをしない立浪が、この日見せた決死のヘッドスライディングは、頭で考えたものではなかった。それは、ゲーム終盤になって追い込まれた中日にとって、反撃の最後の炎だったが、代償も大きかった。このプレーで左肩を脱臼した立浪は、そのまま運び込まれた病院のベッドで、チームの敗北を知ることになる。
そしてラストイニングを飾るのは、再び長嶋茂雄。
日本プロ野球史上最高の一戦が、「長嶋に始まり、長嶋に終わる」形で構成されているという事実に、その圧倒的な存在感とカリスマ性を感じずにはいられない。指揮官としての長嶋茂雄を評価することなど、私には出来ない。しかし、現役を退いてなお、長嶋が日本球界を代表するスーパースターとして君臨していたのは紛れもない事実だろう。長嶋を越えるスターは、今後現われるのだろうか。
もちろん、「10・8」のドラマは彼ら一線級の人間達のみが創り上げたものではない。本書には、他にも数多くのプレーヤーが伏線として登場する。前年オフにFA権を取得しながら、チームの慰留に熱意を感じず揺れ続けた心を、長嶋から贈られた薔薇の花束によって救われた槙原寛己。この日、自身初となるシーズン3割を確定させた名脇役、川相昌弘のあっけない三振と、そこに今中が感じたかすかな違和感。松井に痛恨の一発を浴びたものの、この日マウンドに立っていたということの意味を噛みしめる「キク」こと山田喜久夫。敵軍へと移籍していった落合の後を継いで、中日の4番打者となった大豊泰昭のプライドと屈辱。こうした多くの選手達の瞬間にかける思いが複雑に絡み合って、「10・8」は本物のドラマになったのだ。
味わってみてほしい。
わずか1試合のために上梓された334ページの物語を。
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2004年に中日ドラゴンズ監督に就任し、2011年までの8年間にわたって指揮を執った落合博満。本書を読むと、落合の勝負師としての卓越した能力と、見事な組織マネジメントの手腕がよく分かる。常識に囚われず「オレ流」を貫いたその采配には、自身の経験と価値観から導き出される確かな根拠があった。
桑田真澄という投手は、日本球界において、やはり特別な存在だったと思う。プロ通算173勝。名球会への切符となる200勝こそ達成していないが、その実績は素晴らしい。ただ、桑田の魅力は実績だけでは語れないだろう。知性と確かな努力に裏付けられたそのピッチングは、その実績を越えた部分で、ファンの心に刻み込まれているはずだ。