ウイルスをテーマとしたサイエンス・エッセイだ。取り上げられているのはタバコモザイクウイルス、ライノウイルス、インフルエンザウイルス、バクテリオファージ、ヒト免疫不全ウイルス、天然痘ウイルスなど13種のウイルスである。それぞれのウイルスのカラー電子顕微鏡写真が付いていて1500円。1ウイルスあたり115円ちょっとだ。考えようによってはじつに安い買い物なのだ。
最初のテーマはタバコモザイクウイルなのだが、それに先立ってウイルスとは何かについて意外な方法で理解させてくれる。著者がまず取り出したのはメキシコにある「巨大結晶の洞窟」だった。
写真の左右に見えるオレンジ色の物体は人間である。結晶化している鉱物は透明石膏だが、気温は58度を超え、湿度は100%近いため、宇宙服のような装備で調査しているのである。ともかく、この人類どころか、すべての生きものから隔絶した洞窟からウイルス学者は水のサンプルを取ってきたのだ。そして発見したのは水1滴中に存在するおよそ2億個のウイルスだった。
となると、もしかすると人間の身体にも未知のウイルスが存在するかもしれないと、2009年サンディエゴ大学のチームが研究を開始した。かれらが発見したのは一人あたり平均174種のウイルスが存在し、しかもそのうちの90%が未知のウイルスだったというのだ。ところでウイルスという言葉はタバコモザイク病という植物の病気の研究から生まれたものだ。研究は19世紀にはじまり、いまだに謎だらけであるという。「さあ、どんな謎があるのかこれから探検してみよう!」までが本書の第1章、すなわち115円分ということになる。
タバコモザイクウイルスにつづく章のテーマはライノウイルスだ。普通の風邪のことだ。著者はここでも古代エジプトの書物や古代ギリシャのヒポクラテスなどから、現代発見されているHRV-Cまでのライノウイルスとその功罪について軽快に解説する。ウイルスを殺す薬がない以上、風邪薬は注意して飲まなければならないことや、子どものころに風邪によく感染したひとは成人してアレルギーやクローン病にかかりにくいことなど、ある程度の知識を持つひとにとっては常識でも、意外に多くのひとに知られていない医学的事実もさらっと教えてくれる。これで115円である。
半世紀近くサイエンスの本を読んできたのだが、本書を読んではじめて知ったこともある。海洋ウイルスについてだ。生物未踏の地下洞窟にもウイルスがいたのだから、当然海の中にはウイルスはうじゃうじゃいるに違いない。1986年ニューヨーク大学の大学院生が発見したのは1000億個ものウイルスが海水1リットル中にいたことだった。海水中のウイルスをすべて集めると、その重さはシロナガスクジラの7500万頭分になるという。
それどころではない海洋ウイルスは毎秒10兆個の微生物に侵入し、毎日世界中の海にいる全細菌の半分がウイルスによって殺されているというのだ。壮大すぎて目がまわる。この海洋ウイルスの大気への影響や光合成への関与などさらにお話は続くのだが、それは本書を読んでのお楽しみである。これでも115円だ。
訳文はサイエンス本にはあるまじき「ですます体」である。最初の数ページは違和感を覚えたのが、これが本書にじつに合っていた。本文のデザインも素晴らしく、2013年HONZ翻訳物編集賞候補作だ。
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著者のカール・ジンマーはいま注目の生物学系サイエンス・ライターである。この本も面白かったのだが、なぜかレビューを書かなかった。いまとなっては悔やまれる。
成毛眞オールタイム・ベスト10
のトップに君臨するサイエンス読み物。ウイルスよりも小さいプリオンの物語。レビューはこちら。それにしてもこのころのレビューは簡素だった。おススメ本紹介サイトとしてはこのくらいが適当だと思っていたのだが、HONZのいち読者としては村上浩的なとんでもないボリュームのあるレビューも読みたいとも思う。
この本の文庫版も絶版になったようだ。ホントに本は生鮮食料品と一緒で、店頭にあるうちに買っておかないと、図書館以外では読めなくなってしまう。それにしてもエボラは怖い。出版社による内容紹介:
「脳、内臓を溶かし、目、鼻、口など、体中の穴という穴から血の滴が滲み出る奇病発生。アメリカの首都ワシントン近郊の町、レストンのモンキー・ハウスに突如出現した、恐怖の殺人ウイルス「エボラ」。その致死率は90%。核攻撃さながらの最高度機密保持態勢のもとに展開された、エボラ制圧作戦の全貌を描き出した迫真のノンフィクション。感染の恐怖に耐えながら、ウィルス制圧に命を賭ける兵士や学者の素顔に迫る!!」
冒頭の巨大結晶洞窟についての書籍は少なく、知っているのはナショナルジオグラフィック2008年11月号だけだ。当然これも売り切れ。Wikipediaでは「クリスタルの洞窟」で検索してみるとよい。