高野秀行はいくつもの意味で天才だと思う。
アマゾンで高野の作品をみると、31商品ヒットし、そのほとんどが☆四つ以上、中には☆五つもある。そう、どの作品もおもしろいのである。親戚や親しい友人が20名くらいいて、星稼ぎしているという可能性は否定しきれないところではあるが、それはないということにしておこう。しかし、ご本人がおっしゃるところ、あまり売れてないらしい。作品はつぶぞろいなのに売れてない。とりあえず、天才にありがちなことではないか。そう、ゴッホ並みなのである。
☆を見たら面白そうだとわかるはずなのに読まれていなというのは、読まず嫌いの人が多いにちがいない。そういう人たちは、今回の『謎の独立国家ソマリランド』略して『謎ソマ』を機会に悔い改めて、ぜひ読んでみるように。とはいうものの、私もそれほど前からの愛読者ではない。一昨年に刊行された『イスラム飲酒紀行』以来、高野ワールドにどっぷりはまり込んでしまったのである。禁酒が原則のイスラム各国でアルコールを飲んで、それをドキュメントにまとめる、などという、常人には決してできない発想。これも高野が天才たる所以の一つである。
5年ほど前に、テヘランで開かれる国際学会に呼ばれて、イランに行った。そのときのパーティーで、やたら愛想のいい日本びいきの怪しいおにいさんがいた。そのおにいさんが、人なつっこい日本語で「せんせ、リスクとってビールのまん?」とか話しかけてくるのである。一瞬ふらっとよろめきかけたが、もしや官憲に見つかったりしたら、二度と祖国の土を踏めなくなるかもしれないと思い、断った。そんな経験があったので、高野の訳のわからない勇気に心から感動してしまったのだ。
以来、敬意を表して全作品、とはいわないが、10作品ほど、高野作品ばかりを読む日が続いた。その日々を返してほしい…。あ、間違えた、もとへ。どれも、むちゃくちゃに面白かった。高野はいい加減に見えるが、ひょっとしたら実際にいい加減かもしれないが、いい加減と思わせておいて、落とし前をきっちりつけていく天才でもある。『ワセダ三畳青春期』では、将来がなさそうな若者でどうなるかとひやひやさせながらも、きちんと大人になっていったし、『幻獣ムベンベを追え』では、最後にきちんとムベンベの正体をつきとめたし。
そのきちんと落とし前をつける能力が最大限に発揮されている作品が、『メモリークエスト』である。読者からのどうでもいいような依頼をうけて、大阪が誇るTV番組『探偵ナイトスクープ』のように、異国へ人捜しに出かけて行くという本だ。手がかりはむちゃくちゃに薄いのであるが、高野の手にかかれば、偶然が偶然を呼んで、なんとなく見つかってしまう。ふらふらしてると見せかけておいて偶然をどんどん引き寄せ自らの糧にしてしまえるというのは、才能というよりも神がかり、天才のなせるわざとしか言いようがない。
ここまで、ずいぶんと誉めたつもりであるが、読み返すと、あまり誉めていないような気もする。すこし反省して、ノンフィクションライターとして、ほんとうに天才的なところを二つあげておきたい。そのひとつは、長年の探検と放浪と飲酒で培った「本質を見抜く能力」である。この能力が『未来国家ブータン』でいかんなく発揮されたことは、以前にHONZレビューを書いたので、そちらをお読みいただきたい。
もう一つは、天才的な説明能力である。これは、『ミャンマーの柳生一族』を読むとわかる。ミャンマーに柳生一族の末裔がいて、という話では、もちろん、ない。ミャンマーの紛争地域に潜入して書いたルポルタージュなのであるが、状況がやっこしいので、時代を江戸時代におきかえ、幕府が柳生一族を送り込んだことにして説明していくのである。このわかりやすくもあまりに思い切ったたとえ話は、池上彰には恥ずかしくて決してできない芸当であり、きわめて優れたものだ。そうなのだ。ほとんどの人は気づいていないが、高野の説明能力は池上彰を上回っているのだ。
ここまで述べた天才的能力すべてが惜しげもなくつぎ込まれた本、それが『謎ソマ』である。国連で認められているのは、ソマリア一国だけなのであるが、その地域には、ソマリランドという「自称」独立国家と、プントランドという海賊が跋扈する「国家のようなもの」が存在する。これら二つは国際法上の国家ではないが、ソマリ語を母語とするソマリア、ソマリランド、プントランド、を、高野的たとえ話能力をまねて、便宜上「ソマリ三国」と呼んでおこう。
このソマリ三国に危険をおかして乗り込み、その現状と成り立ちを書いたのがこの本だ。ソマリ三国では、氏族というものの持つ意味が非常に大きい。氏族間の争いや取り決めと政治というものが生き物のように、時にからみあい、時に反発し、ソマリ三国が成立している。そういったことを説明しようとすると、氏族の名前を用いて説明しなければならないが、やたらとややこしい。ここで天才高野は、ミャンマーの柳生一族の時と同じ戦略をとり、源氏や平家、北条氏などと、その成り立ちを参考にしながら勝手に名付けて、わかりやすく説明していく。
ソマリランドは、高野が『天空の城ラピュタ』になぞらえて『地上のラピュタ』と呼ぶように、ソマリ三国の中で圧倒的に平和である。しかし、少し前までは、最も危険なところであって、暴力や殺人が横行する『リアル北斗の拳』状態であったらしい。そのような危険な地域が、どのようにして、自称とはいえ独立国家へとなり得たのか、を明らかにしていくのが、この本の主たるテーマである。
高野は天才であるから、単なる情報や他人の言うことを鵜呑みにしたりしない。あくまで、自分で行かないと気がすまないのである。そして、自ら見聞き、経験したことだけから、快刀乱麻、アレキサンダー大王がゴルディウスの結び目を一刀両断にしたように、ソマリ三国の謎を解明していく。それもおもしろおかしく。これは、なんでもないように見えるが、天才のみがナセルはアラブの大統領、ではなくて、なせる技なのである。
代表作『アヘン王国潜入記』では、ケシの栽培をしながらアヘン中毒になり、あわや廃人になりかけた高野。ソマリ三国でも、カートというアンフェタミンのような覚醒作用を持つ植物にはまりまくる。薬なんかに溺れやすいというところも、天才っぽくてよろしい。しかし、なによりも、高野は探検中毒なのだ。探検には危険がつきものであるが、高野は危険を呼ぶ男でもある。高野はとうとう装甲車に乗っていてほんとうに銃撃をうけるという、面目躍如の状態にも陥って、ハラハラドキドキさせてくれる。
高野のこれまでの作品は、『謎ソマ』を書くためのウォーミングアップにすぎなかったと断言できる。これまでの作品で磨きをかけてきた天才的能力と強運のすべてつぎ込んだ『謎ソマ』こそが、高野の集大成なのだ。『謎ソマ』には、ソマリ三国では、身を守るための護衛などいかにお金が入り用であったかがちょこちょこ書かれている。おそらく、この集大成が売れなければ、破産してしまうかもよという心にくいメッセージなのだろう。
『謎ソマ』には、海賊業を営むための見積もりまでとったことが嬉しそうに書かれていた。これも、万が一『謎ソマ』が売れなければ、悲嘆にくれてソマリの海賊にでもなってしまう、ということをほのめかしているのかもしれない。そうなってしまってからでは遅い。海賊の方が確実に儲かりそうだから、ノンフィクションなど書かなくなるに違いない。本の雑誌社のHP広告には『これ以上のノンフィクションはもう二度と読めない』などと、縁起でもないことまで書いてある。みんな『謎ソマ』買おう! たぶん天才・高野秀行の作品をいつまでも読み続けることができるように。
本邦で発行された本にソマリアが登場するのは珍しいらしい。
天才・高野の手にかかれば、国内にも「秘境」を見いだすことができるのだ。
高野秀行といえば宮田珠己である。わからん人にはわからんだろうが、そうなっているのであるからしかたない。タマキング宮田には、この本をきっかけにはまり込んでしまった。