日本が最後に経験した戦争は第二次世界大戦だ。召集兵が大規模に集結し、いく度かの大会戦を経て雌雄を決する。日本人が経験し、あるていど皮膚感でわかることのできる戦争は、この当時のままで止まっているように思う。むろんそれは素晴らしいことだ。しかし、時代は移り現代では非対称戦争の時代といわれて久しい。ゲリラ、テロなど目に見えない敵と、何時どこで戦闘になるのかわからない。そんな戦争が世界のあらゆる場所で展開されている。そのような戦場で活躍する者達。それは凄腕のエリート兵で組織された特殊部隊だ。
特殊部隊が誕生する経緯は国によって様々だ。特に変わった経歴を持つものがドイツのGSG-9。この部隊はミュンヘンオリンピックの人質事件がきっかけで誕生している。ナチスの記憶が生々しかった当時の西ドイツでは、軍国主義を彷彿とさせる組織を過度に敬遠していた。そのために、犯人グループ「黒い九月」に対抗することができなかった。犯人の要求で人質と犯人グループが空港に移動した際に、一般の警察官で対処しようと考えた西ドイツだが、作戦は始まってすぐに破綻し、激しい銃撃戦の末に9人の人質全員が死亡するという散々な結末をむかえた。この事件を期にGSG-9は誕生するのだが、軍が特殊部隊を持つことを恐れた西ドイツでは、GSG-9を軍ではなく準軍事組織の連邦国境警備隊に創設したのである。軍人で特殊部隊を目指す者は軍を除隊し、連邦国境警備隊に志願しなおさなければならないという奇妙な状態を生み出した。その後、GSG-9は軍事組織ではなく、警察系の特殊部隊として発展していくことになる。
この事件で人質を殺されたイスラエルは、特殊部隊サイェレット・マトカル(参謀本部偵察部隊)で犯人グループの母体である、PLOのリーダーたちを一斉に暗殺している。1973年4月に行われた復讐劇の部隊を率いたのがヨナタン・ネタニヤフ。後にイスラエル首相になるビンヤミン・ネタニヤフの兄だ。ヨナタン・ネタニヤフはその後に「エンテベ空港奇襲作戦」でも指揮をとり、戦死している。この事件はPFLPのテロリストらがハイジャックを起こし、ユダヤ系の乗客のみを人質に反イスラエル色を鮮明にしていた、ウガンダのエンテベ空港に逃げ込んだ事件だ。ウガンダのアミン大統領はテロリストを包囲するという口実で、空港にウガンダ軍を配置する。だが実際はイスラエル軍の襲撃からテロリストを守るために軍を配備していた。
実際の戦闘の詳細は本書に譲るが、ウガンダ軍が警備する空港に輸送機で降り立ち、瞬く間に建物を制圧してしまうサイェレット・マトカル。信じられないことに犯人グループが篭る建物の制圧は、はわずか3分で完了している。人質三人が死亡。また指揮官のヨナタン・ネタニヤフが敵の狙撃で死亡したとはいえ、凄まじい技術だ。このような芸当は一般の兵士では絶対に不可能だ。ちなみに、この精鋭部隊サイェレット・マトカルの信条「危険を冒すものが勝利する」はイギリスのSASの信条をそのまま流用したものであるそうだ。
特殊部隊というと人質解放や大使館占拠事件などの解決ばかりを担っているように思えるが、正規の戦争でも実に重要な任務こなしている。彼らは敵前線の後方に深く侵入し、観測所や潜伏場所を設け、情報の収集、敵の撹乱や陽動、破壊工作などを行う。書いてしまえばサラッとしているが、援護も補給もあてにできない状況で敵地深くに数週間も潜伏し、破壊工作や戦闘を行う苦労は並大抵のものではない。
フォークランド紛争ではイギリスのSASとSBSの混成部隊がフォークランド諸島に次々と導入され偵察任務をこなしている。凍てつく寒さのなか、塹壕を掘りネットと草で隠蔽をした監視所で何日も過ごす。雨が流れ込み手足の感覚を麻痺させる。塹壕足(冷たい水につかり続けて足が壊死してしまう症状)の危険に晒されながら彼らが得た情報は、英軍本隊の上陸作戦などに生かされた。この紛争ではSBSが、サン・カルロ湾が無防備なことを発見し、英軍の上陸地点に決められた。これにより、最も危険な上陸作戦をスムーズに実行することができた。
湾岸戦争では、アメリカの特殊部隊とイギリスの特殊部隊がイラク深くに潜入し、指揮命令系統用の通信線の破壊。スカッドミサイルの移動発射部隊を叩くなど多くの活躍をみせている。戦争が始まり9日目以降SASが配備された西部方面の数百平方キロからは一発もスカッドミサイルが飛ばなくなったほどだ。またイラク戦争やタリバン、アルカイダとの戦いでは、特殊部隊の存在はより重要度を増している。記憶に新しい作戦ではビンラディン暗殺作戦などがあると思う。むろん、本書にもその一部始終が載っている。
彼らは映画などの影響で、派手な戦闘ばかりをこなしているように見える。だが実際には、情報を入手分析し、何度もシミュレーションや訓練を行い、その評価と分析を繰り返すのだ。実に地味な作業に多くの時間を費やす。しかし、こうした作業があって初めて、困難な状況で命を懸けた戦いができる。アメリカの特殊部隊は、戦闘力も技術も高いのだが、情報分析や評価が苦手な感じを本書では受ける。むろん、これは特殊部隊だけの問題とは言いがたいのだが。
アメリカの失敗例として強烈な印象を受けたのは「マヤグエース号事件」だ。この作戦では、クメールルージュに誘拐されたマヤグエース号の乗組員を救出するはずだったのだが、拘束場所の特定に失敗したあげく、急襲地点の兵力を過小評価し多くの死傷者をだした。映画『ブラックホークダウン』でも描かれているソマリアの作戦などもアメリカの失敗例の典型だろう。現在も続くアフガニスタンの戦闘ではイギリスのSASやSBSの協力がアメリカの特殊部隊に欠かせないことが本書で伺える。またイラク戦争でもアメリカ、イギリス、オーストラリア、ポーランドなど多国籍の特殊部隊がタクスフォースを編成し活動している。昨今はそのような傾向が強いようだ。国籍や文化、ときに言葉が違っても彼らには、戦闘技術という共通の文化と言語が存在するのだろう。
本書を読むのに高度な軍事知識は必要ない。ミリタリーマニアでなくても十分楽しめるはずだ。日本が国家である以上、これから先も永遠に戦争を経験することなく過ごせると思うことは、現実的な考えではないと思う。戦争とは政治の延長線上にあり、民主主義では私たち国民に主権がある。外交や安全保障の問題を私たち自身の問題として、真剣に考えなければならないときが、必ず来るはずだ。政治的、思想的にどのような立ち居地にいようとも、現代戦の姿を知ることに、大きな意味があると私は信じる。また軍事情報の欠如は現在も続く、非対称戦争を正しく理解することの妨げにもなる。その結果、判断を誤ってしまえば多くの未来が失われてしまうことになるのだ。
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