いままで隠していたが、じつは建築ファンである。たぶんノンフィクションと同じくらい好きである。であるから、もちろん建築系ノンフィクションもよく読むのであるが、なぜかこれまで紹介する機会がなかった。今回、満を持して-というほどのことはないけれど-紹介するのは、『鴨川ホルモー』や『プリンセストヨトミ』でおなじみの万城目学が、作家・門井慶喜といっしょに近代建築を巡りながらあれこれ話をする、という、なんともゆるめの建築本である。
二人で巡った五つの都市は、順に、大阪、京都、神戸、横浜、東京。どの都市でも、両氏がそれぞれ気に入った建物を5つずつ(大阪だけは6つ)出し合って、一日かけて見てまわる。二人とも建築ファンである。かというと、そうでもない。門井氏はかなりの建築フリークのようであるが、万城目氏は『僕は最初、辰野金吾以外はぜんぜん知らずに、この建築散歩を始めました。』とあるようにまったくの素人。意欲的、というよりも、どちらかというと訳のわからない企画である。
しかし、さすがは万城目学。単に前日に通りかかって気に入ったという建物や、雑誌で見た写真がよかったという建物、キング・カズが白いスポーツカーで乗り付けたのがかっこよかったと友達に聞いたという建物、など、ええかげんな理由で好みの建物をあげていくが、センス抜群。帯に『マキメのトボケ vs カドイの蘊蓄』とあるけれど、万城目学も負けずに鋭いつっこみをいれまくっている。一方的に教えてもらいながらの遠足というよりは、建築をネタにして、ボケとツッコミがはげしくいれかわる教養ある一流の漫才とでもいうべき内容になっている。
ごく適当に選ばれているとはいうものの、明治以来の近代建築なのであるから、一定の傾向がある。全52件のうち、最大の5件が紹介されているのは、ど素人であった万城目氏ですら知っていたという辰野金吾。肥前国に生まれた辰野は、駆け落ち同然にやってきた高橋是清に英語を学び、高橋を追って東京帝国大学へ進み、お雇い外国人ジョサイア・コンドルに建築を学ぶ。代表作は、この本でも取り上げられている東京駅。その赤煉瓦に白い石でアクセントをつけた「辰野式」ともいわれる建築は各地に残っているので、ご存じの方も多いだろう。
52の建築ぜんぶをまわりおわってから、万城目学氏がいちばん好きな建築としてあげるのは、辰野も設計に携わった大阪市中央公会堂である。大阪市の中心は中之島にある、大阪人ならだれでも知っているこの建物は、威風堂々の「辰野式」でありながら、「オバちゃんたちが歌謡ショー」をするような「文化会館」として親しまれている。じつに大阪文化を具現する建物、万城目氏が『大阪の宝やと思いますね』とつぶやくのも当然なのである。ちなみに、名物のオムライスもおいしい。
大阪市中央公会堂の来歴、かつては、ある種の誇りを持ちながら、すべての大阪市民が悲しく語り継いでいたといっても過言ではない。大阪人はケチと思われているが、この建物は、岩本栄之助という株の仲買人が、明治44年に百万円(現在換算にておよそ80億円)もの巨額をポンと寄付して建てられたものである。しかし、岩本は、その後すぐに、第一次世界大戦の影響で大損する。寄付を少しでも返してもらうようにとまわりから勧められるが、「一度寄付したものを返せというのは大阪商人の恥」と拒否。そして、落成を待たずして39歳の若さで短銃自殺してしまう。
というような感じのエピソードが、それぞれの建物について、どうしてその建物が好きかという理由とともに熱く語り合われていく。辰野金吾はさすがに弟子もすごくて、妖怪フェチにして築地本願寺を設計した伊東忠太、そして、京都に数々の名建築を残した武田五一などの建築がいくつも紹介されている。しかし、これらの有名建築家をおさえて、万城目・門井両氏が絶賛し、辰野金吾に次ぐ4件もがとりあげられている建築家がいる。その名は渡辺節。
渡辺節は、かならずしも有名な建築家とはいえないかもしれない。東京大学を卒業後、鉄道院に就職し、先代の京都駅や、今も動く蒸気機関車を保存している京都の梅小路蒸気機関車館などを設計している。横浜にも、だいぶ傷んでいるようではあるが、この本にとりあげられている旧日本綿花横浜支店が現存している。大阪で建築事務所を構えていたことが、知名度があまり高くない理由なのかもしれない。
万城目氏は、その渡辺節の子孫の方から『とても上品な文章でしたためられ』たお手紙をちょうだいする。その内容は、この本で紹介されているエピソードの中でもいちばんのものであるからここでは内緒。そして、その手紙の内容や見て回った建物から、
小難しい、求道的タイプではなく、非常に社交的で、愛嬌のある明るい建築家だったのではないだろうか
と想像し、
予備知識や先入観なしに眺めても、渡辺節の建築は素敵なんですよ。
と絶賛する。
渡辺節、死して半世紀近くになるが、きっと天国で大喜びしているに違いない。
深く解説しているというたぐいの本ではないが、これほど楽しい建築本はない。これまで建築の本など読んだことがないという人にもうってつけの本である。こまかいことがわかっていなくても、気に入った建物を、おぉかっこええなぁ、と見上げて写真を撮るだけで満足できる。建築巡りというのは、無理してわざわざ遠くへ行かない限り、ごく安上がりのお手軽な娯楽でもあるんだし。
そして万城目学である。まったくの素人であったにもかかわらず、わずか2年間の建築巡りでこれだけの内容の本ができたというのは、門井氏というすばらしき相方があったとはいえ、驚くべき能力である。高い能力だけではない。これほどおもろい人とは思ってもいなかった。大阪人の誇りとしたい。ファンの一人として、小説だけでなく、建築の次にまた何かの獲物を見つけて、ノンフィクション系おもろい紹介本もどんどん出してもらいたい。
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辰野金吾の伝記は相当におもろいのに絶版。東京駅改築を機に再版してほしかったなぁ。
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大阪の近代建築めぐりには、なんといってもこの一冊!
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建築探偵団・藤森照信が日本の近代建築を歴史にそってひもといていく。勉強になります。