著者の肩書は「燐票家」である。燐票とはマッチラベルのことだ。念のために言っておくが、マッチとは火を付けるためのアレである。19世紀半ばに発明されたマッチの用途は薪やガスコンロ、タバコなどに火を付けるものであったはずだ。もちろん、人々は便利な道具として、雑貨屋などで買い求めたはずだ。
日本では明治8年に生産がはじまり、第一次世界大戦終結のころには、スウェーデン、アメリカと並んで世界三大マッチ大国となっていたらしい。マッチの輸出で大いに外貨を稼いでいたのだ。このころのマッチはそれ自体が商品だったから、マッチ製造業者は箱のデザインに意匠を凝らしたのだ。本書はそのマッチの箱のデザイン集である。
ところで、その後マッチは広告媒体となった。店名や商品名が描かれ、タダで配られるようになった。そのマッチもライターに駆逐され、ライターも喫煙人口の低下で、姿を消しつつある。もしかするといまの幼稚園児や小学生はマッチを知らない可能性がある。それゆえに冒頭でマッチの説明をしてみたのである。
さて、本書は明治から昭和初期のマッチラベルを1500点以上収録した図録である。ラベルのデザインごとに章立てされていて、それぞれ「布引帯形」「双柱形」「小判形」「相似形」「字紋形」「欧字表記」「メダル付記の7タイプに分類されている。ところで、MGM映画のオープニングでライオンが出てくるシーンをちょっと思い出してみてほしい。布引帯形とはあのライオンをニョロニョロと取り囲む帯のことなのだ。ちなみに、ライオンを囲んでいるのは、じつは布ではなくフィルムであり、本来の布引帯のパロディだ。
本書で布引帯形として紹介されているマッチラベルは217種。布帯の上や下にワシ、着物姿の日本女性、キューピー、福助、カマキリ、蜂の巣、きのこ、風見鶏、鯉」などが思いつくままレトロなタッチで描かれている。デザイナーの発想はどんどん進み「大きな桃にのったネズミ」「(リアリティのある)ぶんぶく茶釜になった狸」「チェロを弾くカエル」「蓮の葉に載ったカエルの曼荼羅」「犬を縛る猿」「鷹に掴まっている移動中の猿」などじつに奔放だ。
この調子で「双柱形」は2本の柱に囲まれた図案、「小判型」は小判のような帯に囲まれた図案である。それにしてもいろんなものが描かれている。帽子、シャチホコ、乳母車、鼓などはまだ普通だ。「蛸を戦う猿」「馬に乗った猿を自転車に乗って追いかける犬」「天秤秤の左に猫、右に分銅」「天狗の鼻につかまっている猿」なんてのはじつに楽しい。
本書は図案集だから、それぞれの図案に解説はない。多くの故事も含まれているだろうからそれを推測するのも面白い。輸出先・販売先の事情なども想像していろいろと楽しめる。図案はもちろん全てレトロだから目には逆に新しく映る。デザイナーの必携本かもしれない。グラフィックからテキスタイル、インテリアにまで応用が利くであろう。
じつは著者が蒐集しているすべてのマッチラベルはカラーなのだが、本書ではあえてカラーから白黒に変換し、さらにノイズを取り去っている。情報量を絞り込むことで、まったく新しいアートに仕上がっている。この編集だけでもかなりの労力が必要だったことは間違いない。これで2800円は安い。
それにしても「地球を突き破る象」とか「4つの桶に乗って海を進む犬、鶏、鳩、猫」とか「ガマの上に乗り、釣竿にトンボのようなものを餌として縛り付け、もう一匹のガマを捕まえようとする人」とか、本書の読み方、使い方は様々であろうが、ボクの場合は大笑いしながら日がな一日眺めてしまった。
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