闘病記というジャンルがある。もちろんノンフィクションである。そんなの読んだことがないという人が多いかもしれないが、大きな本屋さんでは、そのための棚まであるくらいだから、けっこう人気のある分野なのだ。たいへんな病気を明るく描いた大野更紗さんの『困ってる人』がベストセラーになったのも記憶に新しい。
かつて、医学生の時代から医師として働いていた3年の間、何かのたしにはならぬかと闘病記をよく読んでいた。そんな中で最も印象に残っているのは、我らが大阪大学医学部出身の泌尿器科医・中新井邦夫の生き様を描いた『たたかいはいのち果てる日まで』である。朝日新聞の書評欄で「これは現代の美談である」とまで紹介されたのは30年近く前。当然絶版になっているだろうと思っていた。しかし、なんと、5年前に復刻出版されていた。すばらしいことである。乳がんに冒されながらも障害児医療に尽くし続けた中新井邦夫の人生にはそれだけ強烈なインパクトがある。
同じく阪大医学部出身医師の「病気本」としては『わたし癌です-ある精神科医の耐病記』がある。『人生応援団』として人生相談の名手でもあった頼藤和寛先生は、病魔に襲われる前、人生には積極的な意味などないのだと説く『人みな骨になるならば-虚無から始める人生論』という名著をだしておられた。ひとことでいうと、なにがあっても、「人みな骨になるならば」と考えれば、なんも腹が立たなくなりますよという、積極的ニヒリズムの勧めであった。
その先生が大腸癌におかされてからご自分で書かれた記録である。病気とは、それを相手に闘うようなものではなく、ひたすら耐えるものであるという考えから、闘病記ではなく耐病記とされている。その頼藤先生の「死に方」は、大腸癌とわかる前のお考えどおり、最後まで徹底した虚無主義のままであった。人間ここまで淡々と生き抜くことができるのかと衝撃を受けた。発行当時ずいぶんと話題になった本であるが、残念ながらいまや絶版である。
金子哲雄さん、ときどきテレビで見かけた流通ジャーナリストである。すこし舌ったらずな物言いで、いじられやすいコメントをけなげに出し続ける人、という印象であった。今年の10月、41歳という若さで肺カルチノイドで逝去、という訃報を読んだ。珍しい病気で亡くなられたのだということが妙に記憶に残った。
すこし脇道にそれるが、日本語の「がん」という言葉には二通りの意味がある。広義のがんは悪性腫瘍すべてを意味する。しかし、その悪性腫瘍には、上皮-胃、腸の粘膜や、肝臓、乳腺のような臓器-に由来する狭義での「がん」と、それ以外-筋肉とか骨-に由来する「肉腫」がある。英語では、がんにはcancer、狭義のがんにはcarcinomaという言葉があてはまる。というのは、わたしが教える病理学総論における基礎中の基礎である。
カルチノイドcarcinoidというのは、語源的にはcarcino + oid。carcino というのは癌の接頭辞、~oidというのは ~に似たものを意味する接尾辞であるから、カルチノイドというのは、日本語では「類癌」。あるいは「がんもどき」と呼んでもよい腫瘍だ。金子氏に興味があった訳ではなかったが、カルチノイドという言葉へのひっかかりがこの本を手に取らせた。そして、この本を通じて、遅ればせながら、金子さんのことが好きになった。
生き方と同じ数だけ死に方がある。頼藤先生の死に方を虚無型というのであらば、自らの病気を顧みず最期まで医療に取り組んだ中新井先生の死に方は壮絶型とでも言えばいいのだろうか。『僕の死に方』は、どちらともまったく違う、感謝エンターテインメント型とでもいうべき死に方のお話。死に方の目標はただ一つ。みんなに感謝し、最期まで楽しんでもらいたい、ということだった。
病気を公表して闘病にはいる有名人もたくさんいるが、金子氏は病気であることを隠し通した。発見された時点でいつ死んでもおかしくない、と言われたこともあるだろう。しかし、それ以上に、自分を知る人に心配をかけずに、最後まで楽しませながら仕事をやりとげたいという考えがそうさせたのだ。わたしも、そういう状況になれば、そういうふうにしてみたいと思う。
しかし、この本を読むと、相当な覚悟を持っていなければ、そんなことはできそうにない。金子さんは、文字通り東奔西走しながら、いろいろな治療法を試み、その効果に一喜一憂する。駄目だと思った時、何度も何度も奥さんと涙する。そんなことを周りには一切悟らせず、できる範囲内できちんと仕事を続け、笑いをふりまいた。
参列したみんなに楽しんでもらえるようにと、葬式の段取りもすべて自分でつけた。流通ジャーナリストらしく、経費のこともしっかりと考えた。ある意味では遺書として書かれたこの本であるが、決してじめじめなどしていない。悲しいけれど、なんともからっと書かれているので、あっさりと、そして、さわやかに読み進めることができる。しかし、最後の言葉には泣いた。
希な病気を世間に知ってもらいたいので、死亡診断書にはカルチノイドと書いてほしいということまで、金子氏は医師に伝えていた。結果、その遺志がこの本を私の手に取らせてくれたのである。東京出張の折に新大阪駅の書店で購入したこの本、読み終わったのは、のぞみの車窓から東京タワーが見えるころだった。
東京タワーの足もとにあるお寺に骨を埋めるから、東京タワーを見て自分のことを思い出してもらえたらうれしいと書いた金子さん。金子さんとはもちろん面識もないし、番組に出ておられたところも数えるほどしか見た記憶がない。しかし、これから東京タワーを見るたびに思い出すことになるだろう。その他者への愛にあふれた、すさまじくもあざやかな「死に方」を。
合掌。
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死の臨床についての古典的名著。医学生必読の書としてすすめています。
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これは、病いをとりあげた名著の一冊。
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あのフーコーの臨床医学をめぐる考察。翻訳は『生きがいについて』の神谷美恵子。