6月のHONZ定例会で濱崎さんから紹介された本である。版元の星和出版はおもに精神医学の専門書を取り扱う出版社だ。本書の医学書であり、けっして娯楽のために書かれた本ではない。それゆえに興味本位で読むべき本ではない。患者と医療従事者にたいするリスペクトを持って読むべき本である。
本書はタイトルどおり「稀で特異な精神症候群ないし状態像」を取り扱った33人の医師による論文集である。22の症例が取り上げられている。「憑依状態」「多重人格」「空想虚言」などは、小説や映画などでも取り扱われており、想像することが可能な症例だ。
しかし、「重複記憶錯誤」となると想像が難しくなる。その症候は「実際には単一の場所(建造物)や人物が複数存在する」と患者が主張する症候だというのだ。この論文には3件の自験例が示されている。自殺を企画してマンションから転落し、K病院に入院していた男が「自分はもう一つのK病院に入院していた。2つのK病院は近くにあって、同じ職員が働いている」と答えたというのだ。この状態は8か月続き消滅した。ほかには夫が2人いると思い込んでいる73歳の女性、5人兄弟のそれぞれが5名づついる(つまり25人いることになる)と思い込んでいる56歳の男性の症例が取り上げられている。
ほかにも、動物からの幻声を体験する「ドリトル現象」、司会に映ずる物体の大きさ・距離・位置に関する錯覚などがある「不思議の国のアリス症候群」など、他に比定することができないためなのか、小説から症例名をとった症例もある。
繰り返しだが、本書は論文集であるから楽しみながら読めるようなものではない。精神医学者以外が読むことでとんでもない誤解をする可能性もある。しかし、症例のいくつかはじつに人間くさく、いわゆる純文学の匂いがするのだ。
ちなみに、あまり知られていないことだが、厚労省が発表している平成20年の全国入院患者数をみてみると、第3位は「新生物(がん)」の16万人、第2位は「循環器」の28万人、第1位は「精神および行動障害」で30万人である。東日本大震災の避難者数のピークに匹敵する数の人々が、あまり知られることなく苦しんでいるのである。