江戸時代とは1603年から1868年の265年間を指す。現代を含めた日本の歴史のなかで、もっとも安定していた時代だ。書店にいっても江戸時代コーナーがあり、歌舞伎や浮世絵もいまでも大人気である。両国の江戸東京博物館やお台場の大江戸温泉物語などにも人が集まってくる。いかに現代人が江戸時代を憧れているかがわかる。
医療の未発達などを除くと、日本人はじつに幸せに暮らしていたのである。そもそも、江戸後期の年貢は4公6民だから、いまよりも国民負担率が少なかったのかもしれない。社会保障も「七分積金」という制度があり、身寄りのない年寄や障がい者には生活費支給があった。とりわけ幕末から明治にかけて、日本人がいかに幸せだったかについてはスーパー名著『逝きし世の面影』に詳しい。(この本についてはいつか書評を書こうと思っている。ちなみに『ご冗談でしょう、ファインマンさん』に匹敵する面白さだ。)
さて、本書はその江戸時代でも1787年から1841年にかけての54年間、「文化文政期」に焦点をあてて諸物価を円に換算していく読み物だ。文化文政期とは、寛政の改革と天保の改革にはさまれた文化繚乱期だ。十返舎一九、曲亭馬琴、式亭三馬、良寛、小林一茶、太田南畝、柳井川柳、本居宣長、杉田玄白、平賀源内、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重、池大雅、谷文晁、円山応挙、酒井抱一、曽我蕭白、伊藤若冲、四代目鶴屋南北、七代目市川團十郎、三代目尾上菊五郎など、もはや日本のルネッサンスといってもよい時代だった。もう一度生まれ変われるなら、この時代に生まれたいとつくづく思う。
本書の著者は1940年生まれの筋金入りの江戸研究者だ。そのため、売出し中の経済評論家が思いつきで書いたような江戸経済読み物とは完全に一線を画している。深い江戸文化にたいする造詣があって現代の円レートに変換している。
すこし本書から拾ってみよう。江戸の町は木戸という門で仕切られていた。夜はその木戸が閉められていた。ある意味で戒厳令のような状態なのだが、木戸を守る木戸番小屋はじつはコンビニのようになっていたというのだ。焼き芋などが売られていて1本4-5文(80-100円)くらいだった。江戸時代の100円ショップ「四文屋」ではすべての品物が4文(80円)で売られていた。ただし、焼き豆腐、きざみするめなどを売る惣菜屋だった。
最盛期に江戸で消費された酒は115万樽であり、これは下戸を除く成人男性が毎日3-4合ほど飲んだ計算になる。上方からとどく酒は1升250-300文(5000円―6000円)、関東に地酒はその4分の1の価格だった。その酒が飲める居酒屋で田楽を頼むと2文(40円)、蛸の足や鯖の味噌煮であれば4文(80円)だった。
本書でもちろん食べものの値段だけではない。時刻を知らせる鐘撞き役人の年収や化粧につかう紅の値段、吉原から夜鷹までの女郎の値段、医者と薬代、駕籠や飛脚などあらゆる側面から価格を割り出してくる。江戸マニアにとっては知っている話も多いはずだが、良くまとまっているので、じつに楽しく読める本だ。
それにしてもタイトルに「!」を使う必要はない。卵の価格だけが400円と異常に高いだけで、ほとんどの物価は現代とさほど変わらないのである。本書はまちがいなくタイトルで損をしている。これではまるで『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』などの路線と勘違いされていそうだ。