大相撲の白鵬関が真の横綱相撲の理想を示すものとして語った「後の先」(ごのせん)が、ひと頃メディアでも話題になった。一見、相手の攻撃を許しているかのように見えて、実はその攻撃を受ける中で巧みに相手を制する形に持っていくという、高度な技の体系だ。
相手にどんな仕掛けを打たれてもいつの間にか自分の型に持ち込み、当たり前のように勝つ。常勝の秘訣はカウンターアタックにあり。武道、スポーツ、ボードゲームに軍事戦略など、多彩なジャンルにわたるエピソードから勝負の極意に迫るという、面白い切り口の一冊だ。
「後の先」の源流は剣術にある。まず相手が先に動かざるを得ないような状況を作ること、そして相手の攻撃に対して万全の形で反撃できる準備が整えられていることが肝要だ。ただ、単に相手の出方をじっと待っていればそれで良いというものではない。その境地を築いていく上で「懸待一致」(けんたいいっち)という概念がカギとなる。
剣術の攻防とは、ここからが攻めで、ここからが守り、というように機械的に攻守が分離できるものではなく、攻撃の中に守備の要素が含まれ、守備の中に攻撃の要素が含まれ、すべては混然一体となっている。この懸待一致の概念の中で、相手の攻撃を受けることがすなわち瞬時に自分が攻撃することに変わり、その実践が「後の先」につながるという。
「後の先」をとる奥義は剣術に限った話ではない。空手では「虚・実」の駆け引きを踏まえた攻防が繰り広げられる。合気道では「入り身」という体のさばき方により、相手の攻撃をかわすと同時に、相手の死角に直線的に踏み込んでいく。ボクシングのカウンターパンチでも相手が「動かざるを得ない」状況をつくり、狙い通りに動いてきた瞬間にカウンターを打ち込むのが理想的だ。
将棋・チェスといったボードゲームでも棋譜や戦術の研究がプロ・アマ問わず進んでおり、勝敗を分ける一瞬の攻防にはカウンターアタックの概念に通じる戦略が数多く見られる。
将棋では常に攻守両面のバランスに気を配ることが求められる。しかし、最近はあえてリスクを冒しても「王将」を取りに出るような、大胆な戦法が敢行される例も増えてきたという。
日本将棋連盟棋士・六段、2011年度勝率1位の中村大地氏によれば、
「将棋でもスピード化がトレンドになっています。従来は、おおよそ100手前後で勝負が決まったのですが、最近は60手台ということもある。それは、相手が十分に守備を固めていないうちに積極的に攻めて出る、という考え方が台頭している」
という。
新たな攻め手が次々と開発される中、じっくり構えていると思わぬところから攻略されてしまう危険性がある。早く主導権を握るため、相手の守備が整わないうちに早く攻め込むという視点は、サッカーやバスケットなどボールゲームのカウンターアタックに通じるものがある。
終盤戦の攻防に関して興味深いのはオセロの事例だ。オセロはゲームの進行につれて石を置く場所が限られてくるため、チェスや将棋に比べ指し手の選択肢の幅は狭い。コンピュータ解析や確率論から導き出される定石に従って進めていけば、あるところまでは負けずにゲームを進めることができる。
しかし、本当に面白いのは「その先」だ。確率論やパターンに忠実に従っていけば最後は引き分けにならざるを得ないが、打ち手は人間。勝つためには敢えて定石を外れ、独自の戦略に基づいた手を打つ必要がある。それは、危険を承知でリスクを含んだ手を打つということでもあり、いうなれば、攻撃の「仕掛け」とも呼ぶべきものだ。
さらにオセロには制限時間があり、一手あたり40秒程度で決断を迫られると、どうしても計算ミス等の狂いが生じてきてしまう。オセロのゲーム終盤はまさに心理戦の様相を呈す。
自らがミスを犯さぬ注意力とともに、相手のミスを即座に察知し自分の有利な展開に活用するには局所の展開にとらわれず、全体の形成を見渡す視点を持つことが肝要だ。四隅に自分の石を置くなど一般的には有効な手よりも、最終的に盤全体に自分の石を多くおいて勝利することが優先される。肉を切らせて骨を絶つ。これぞ勝負の醍醐味。
戦史にもカウンターアタックに関する格言や記述は豊富だ。スポーツを戦闘に見立て、本書では軍事戦略書の古典に見られる戦術から、ボールゲームに見られるカウンターアタックを読み解いている。
軍事戦略といえばお約束、『孫子』の一節から。
「故に善く敵を動かすものは、之を形すれば敵かならず之に従い、之に予うれば敵かならず之を取る。利をもって之を動かし、詐もって卒に之を待つ」
巧みに相手を動かすためには、あえて隙を相手に見せて誘う場合がある。相手はそれに乗じて何らかの動きを示す。相手が求めているものをあえて与え、相手が「利」を思い込むような「詐」を仕掛けて急襲することが大切だ。
バスケットボールの「ディレクション・ディフェンス」は、相手がどうしてもそちらに行かざるを得ない体制を作り誘い込んで奪う守備。バレーボールでも、あえてブロックを一部空けて最もレシーブの得意な選手の方向にアタックさせるなど、カウンターアタックのための伏線を張る戦術が存在する。
「兵の情は速やかなるを主とす。人の及ばざるに乗じ、慮らざるの道に由り、その戒めざるところを攻む」
こちらは大部隊を敵に回したときの対処法。孫武は、早く戦いを終結させたい兵の戦意を喪失させるべく、相手が思いもよらない方法で意表を突き、相手の警戒が手薄なところをスピーディーに攻略すべきだ、と語る。
サッカーでは退場者を出して人数で劣勢に立たされたチームのほうが得点を挙げることがある。人数の少ないチームは守備のバランスを確保し、対戦チームが攻撃中心となる試合展開の中、少人数のチームが起死回生のカウンターアタックを仕掛けたとき、人数が多いことで守備意識が薄れているチームが緩慢な守備をしてしまい、失点する形に似ている。
『孫子』と並び立つ兵学の名著と言えば『戦争論』。クラウゼヴィッツも「守勢は攻勢より優れた手段である」と評し、敵将の判断を誤らせた防御の巧みな活用を実証する例として、フリードリヒ大王(1712~1788年)の7年戦争(1756~1763年)における成果を挙げている。
フリードリヒ大王率いるプロイセンはわずか400万人の人口で、8000万人の人口を擁するフランス、ロシア、オーストリア連合軍と対決。劣勢な軍勢にあっても大王の指揮官としての能力は各国のリーダーに強いインパクトを与え、彼が敗走して防御を固めざるを得ない状況にあってなお、相手に「何をしてくるか分からない」という恐怖を与えていった。
また、仮に大王が敗戦を認めた上で講和条約を結んだとしても、戦略に優れた大王が連合軍のいずれの国と密な関係を結ぶことで自らの立場が危険にさらされるかもしれないという恐れを各国に抱かせる。そんな互いの疑心暗鬼が、追い詰められた大王に止めを指すことを躊躇させ、反撃の猶予を与えてしまう。
とあるサッカー監督も、リードを守って勝ちたい試合の終盤、相手にコーナーキックを取られたときにも攻撃の選手を最前線に3人残すという。相手は3人をマークするために最低3人のDFを最後尾に残さざるを得なくなる。すると、自陣ゴール前に進出してくる相手の数は少なくなり、コーナーキックを守りきった後のカウンターで攻撃に使えるパスコースも増える。
どうしても守りきりたいとする場面で「守るしかない」のではなく「いつでも反撃する」という構えを見せる牽制力も、このクラウゼヴィッツの戦略論に通じるだろう。
その他、本書ではスポーツ科学の手法を用い、イチローら一流プロ野球選手が周辺視・瞬間視を用いて「後の先」を取る様子や、空手や柔道の達人の重心移動をデータで解析。またサッカーの南アフリカW杯の得点パターン分析によるカウンター研究など、多面的な戦術分析が楽しめる。
今年は一年、何だかやられっぱなしだったという方も、是非この一冊で来年こそは巻き返しを図っていただきたい。
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著者の永井洋一氏はサッカージャーナリスト。サッカーの他にも、コーチング、トレーニングなどの分野で幅広く執筆、講演活動を行っており、他の著作も興味深いタイトルが揃っている。