著者:徳力龍之介 出版社:木楽舎
あらかじめお断りしておくが、本書の著者はボクのお師匠さんである。祇園町の遊び方は極めて特殊であるから、このお師匠さんなしでは、楽しめなかったに違いない。というよりは、お茶屋さんに上がることすらできなかったはずだ。ボクより若いのだが、もちろん大人だ。けっして「おとな」ではないが、「たいじん」なのである。
帯の賛辞は日本画家の千住博さんが書いている。「私が祇園のことを語ってきたのは、徳力さんから教わったことばかりなのです。(中略)唯一絶対、究極の祇園ガイド、満を持しての登場です!」と絶賛なのだが、これは千住さんの本心であり、ボクも完全に同意する。
全日空の機内誌「翼の王国」に2007年から3年半にわたって連載されていた。しっとりとして、落ち着いた文章は空の旅の楽しみであった。使われている写真も素晴らしいものばかりだ。祇園町では芸舞妓を狙ってプロアマを問わずカメラマンが群がっている。しかし、彼らはけっして旦那衆=贔屓筋ではないから、芸舞妓が本心をあらわすことはない。
本書89ページには祇園町の置屋さんの一つである「祇園玖美」に身を置く芸舞妓の集合写真が掲載されている。みんな嬉しそうだ。なにしろ、この写真撮影のあとは千住さんや徳力さんとみんなで遊ぼうというのである。ことほど左様に本書は、ルポライターなどが書いた類書とは一線を画すのである。
お茶屋さんに上がるときに靴はどう脱ぐとカッコよいのか、そもそもどんな服を着て行けばよいのか、支払はどうしたらよいのか、芸妓と舞妓はなにが違うのか、といういわば祇園町入門はすべからく押さえてある。
年末年始、春の節分、八朔などの年中行事はもちろん、扇子や化粧道具などの薀蓄も適度で読みやすい。ある程度の遊び人であっても、福玉や手打ち、舞妓の籠の中身や「ぽっちり」などは本書ではじめて知るのではなかろうか。祇園町は深いのである。
祇園町はお客が遊ぶ場所であるのだが、そのお客は遊ばせてもらっているという意識をいつも持っている。お客さまはけっして神様ではない。連綿と続く約束事があり、底知れない文化の集積があり、なによりも人生と同じ長さの付き合いがある。楽しむためには、知識が必要である。これを教養というべきかどうかは判らないが、この世界を知らずして老いるのは悲しいことだと思うのである。
そのためにも若い人たちは頑張って仕事をして、稼いでもらい、散財していただきたいものである。国などの補助なしに日本の伝統文化の粋を維持し続けている花街を支えることも、立派な社会貢献であり、日本男児の甲斐性というものである。
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じつは大震災当日は京都へ向かう新幹線の中にいた。列車は関ヶ原あたりで30分ほど停止したのちに京都駅に辛くも滑り込んだ。次の日に茂木健一郎氏や星野佳路氏、徳岡邦夫氏らと文化についてのトークショーをする予定であった。一日、早く上洛して祇園町で遊ぼうと思っていたのである。
ところで、我が家にはヘルメットを用意してある。ヘッドランプ付のがっちりとしたモノである。もちろん、災厄から身を守るためのお札も多数貼ってある。人によってはこれを芸舞妓の千社札と呼ぶらしい。