1953年、自由党総裁で首相の吉田茂が社会党議員に「バカヤロー」と言ったために、内閣不信任案が可決され、解散総選挙に追い込まれた。てっきり吉田茂が国会の演説台からバカヤローと叫んだものだと思っていたのだが、じつは呟きのようなものだったらしい。しかし、速記者には聞こえたために議事録に記録され、ついには日本の政局は自由民主党結党までの道のりをたどることになった。
ちなみに、このときには鳩山一郎が自由党を脱党して、不信任案に賛成している。吉田はのちに、この事件を奇怪事として忘れることができないと述懐している。鳩山家には奇怪事をなす遺伝子があるのかもしれない。
『速記者たちの国会秘録』はこのような政治の舞台裏を、40人もの速記者たちの言葉を借りながら、柔らかく垣間見せてくれる好著だ。
ところで、速記者たちは佐藤栄作と大平正芳を「お客様」と呼んでいたらしい。言葉の乱れがまったくなく、理路整然として、明快だったというのだ。いっぽうで竹下登は作品を意図的に変形させる陶芸家を思わせる「崩しの名手」だと評する。もちろん田中角栄やハマコーなどは迫力と愛嬌を兼ね備えた政治家として速記者たちの記憶に刻まれている。現代の速記者たちが菅直人や小沢一郎をどう評価するのか聞いてみたいものだ。
本書に唯一民間人で登場するのはソニーの創業者森田昭夫だ。日本がまだGHQの占領下にあった昭和24年、国会ではすでに米国製のオープンリール式テープレコーダーを使っていたというのだ。盛田はこの当時最新式の機械を見せてもらいにきたのだ。ソニーはその翌年に国産テープレコーダー第1号機「G型」を初内している。本書にはないがGとはガバメントの略だった。
当時は民間よりも国会のほうが進んだ技術を使っていたことになる。もちろん舶来の技術が優位だった時代だったとしても、国が果たすべき役割を改めて考えさせられてしまうエピソードだ。