著者は大正14年生まれの85歳だ。25年前から仏教史を研究し始めたという。この時すでに60歳だ。しかもテーマはお寺だ。さぞかし辛気臭い本かと思ってしまう。ところが、本書『お坊さんが隠すお寺の話』は、失礼ながらご老人が書いたとはにわかに信じられないほど新鮮なのだ。
地方の末寺は崩壊の危機にあるというのだが、これは仏教界の自業自得だと言い切る。たしかに、近くの斎場の名前は聞いたことはあるけれど、自分がなんという寺の檀家だったのか知らない人のほうが多いと思う。
著者によれば、ほとんどの日本人にとって仏教とはお葬式行事のこと。ご住職は葬式の司祭者、迷信がらみの拝み屋、そしてお墓の世話人としか見ていないという。もっともだ。
さらに、改宗・転宗は意外と簡単だともいう。そもそも天皇家は大和朝時代から1500年間仏教を信奉していたが、明治のはじめに神道へ「大転宗」しているというのだ。したがって、最近では多額のお布施を求められる菩提寺から外れる人は少なくないのだという。そして、お葬式も寺離れしていくという。宗教離れしてゆく。
そこで著者はこれからの寺のあり方として「ケア」と「イベント」を提唱する。ひとつは老人介護施設からグリーフケア、すなわち悲しみを乗り越えるための援助までを取り扱う「総合仏教センター」としての寺だ。
もうひとつは音楽コンサートや能などのイベント会場としての利用である。寺は数百年も惰眠をむさぼっていたのだから、これくらいしないと生き残れないというのである。さらに、墓石に代わって花木を広大な敷地に植えた寺や無縁仏の永代供養などに取り組んで信頼を回復しつつあるお寺も紹介する。
著者がいうように、お寺は数百年にわたり陳腐化や老齢化が進んだセクターであるならば、そこに日本再生や新しいビジネスのヒントがあるのかもしれない。生前に地獄を見ているお坊さんに学ぶ書。