63.7%。この数字は1966年に打ち立てられてから、今でも塗り替えられることのない、ボクシングのテレビ放映における歴代最高視聴率である。日本最長の13連続防衛を達成した“カンムリワシ”具志堅用高も、日本最速(当時)の8戦目で世界王者となった“浪速のジョー”辰吉丈一郎も、本書の主人公ほどには日本全土を熱狂させることはできなかった。
その日本史上最も注目を集めた試合を闘った男の名は、原田政彦。「ファイティング原田」のリングネームで数々の名勝負を繰り広げたこのボクサーが、どれほど時代を背負っていたかは、歴代高視聴率番組ランキングを見れば一目瞭然。何と上位25番組中6番組もが彼の試合なのだ。また日本人初の2階級制覇など、人気だけでなくその実績もずば抜けている。原田の活躍した昭和30年代は階級、団体が細分化されておらず、世界チャンピオンの価値が今よりはるかに高かったことを強調しておきたい。
ファイティング原田がこれほど国民から支持された理由は、その強さだけでは説明できない。それは、1人の男の生き様と時代が共鳴した奇跡であった。『永遠の0』などで知られる小説家の著者は、原田のボクサー人生を、戦後の混乱から立ち上がり、高度経済成長期へと向かっていく昭和の日本と重ね合わせながら物語っていく。この真実の物語からは、ボクサーひとりひとりの息づかいが、時代のにおいが生々しく感じられる。
そこには、戦争で負った傷に負けることなく、世界の頂点にまで辿り着いた先人がいた。がむしゃらに働き、原田に声援を送り続けた日本人がいた。そして、「黄金のバンダム」と呼ばれた最強のライバルがいた。本書には、格闘技ファンでなくともアツくさせられる物語が無数に散りばめられている。矢尾板貞雄、海老原博幸やバーニー・ロスなど、本書に登場する原田以外のボクサー達もたまらなく魅力的だ。
本書の物語は、後に原田が進む道をつくった男、白井義男から始まる。日本人初の世界王者となる白井だが、そのボクサー人生は順調なものではなかった。1923年生まれの彼は過酷な軍隊生活で坐骨神経痛を患い、戦後は勝ったり負けたりの平凡なボクサー生活を送っていた。
引退を意識しながらもジムで練習をこなす白井の運命を、1人のアメリカ人が大きく変える。そのアメリカ人とは、GHQの将校として来日していたカーン博士である。運動生理学的知見から独自のボクシング理論を構築していたカーンは、白井の所属するジムを訪れるやいなや、白井の動きに目を奪われた。トレーナーからも見放されかけていた白井を指差し、カーンはこう尋ねた。
「あれはチャンピオンか?」
ぱっとしない戦績の白井をチャンピオンと勘違いしたカーンを、ジムのトレーナーや練習生は笑ったという。国籍、年齢を超えた二人三脚は、こんな運命的出会いから始まった。
カーンの科学的トレーニングと生活面からのバックアップで生まれ変わった白井は、快進撃を続けた。そしてついに、1952年5月19日の後楽園球場で4万人の観衆が見守るなか、日本初の世界タイトルマッチに挑むに至る。サンフランシスコ講和条約が発効したばかりの日本を背負ってリングに向かう白井にカーンが声を掛けた。
「ヨシオ、君はこの試合に勝利することで、敗戦で失われた日本人の自信と気力を呼び戻すのだ」
当時の日本人がボクシングに何を求めていたのか、リング周辺にどのような空気が漂っていたのか、ひしひしと伝わってくる。1943年の東京に生まれた原田が、白井の試合をどのような気持ちで見ていたのかは分からない。しかし、この白井の活躍が原田をボクシングへと誘ったことは間違いない。白井のサクセスストーリーは、「暗くて野蛮な拳闘」を「勇敢で男らしいボクシング」、「成功には大金が伴うスポーツ」へと変えていた。その後加熱していくボクシング人気はとどまることを知らず、昭和30年代には全曜日のゴールデンタイムでボクシングの生中継が行われていたという。
原田は貧しい家族に楽をさせたいと、中学二年生でボクシングジムの門を叩いた。彼はみるみるうちにボクシングにのめり込み、順調にその才能を開花させていく。リングネームからも分かるように、そのファイトスタイルは距離を詰めての徹底的な殴り合いだ。無尽蔵とも思えるスタミナで、打って、打って、打ちまくる。
このスタイルを可能にしたのは、常識を超えた練習量だ。減量に苦しんでいた原田が、ジムでストーブを焚きながら練習していたところ、取材をしていた記者があまりの暑さに気を失ったという。この地獄の特訓を耐えぬけたのは、原田が何よりボクシングを好きだったからだ。原田は間違いなく、ボクシングに夢中になる才能を持っていた。そしてこの才能こそが、強くなるために最も重要な才能だと著者は言う。
原田のボクシング人生は、「黄金のバンダム」と呼ばれたエデル・ジョフレと交わることで、一気に加速する。今では「黄金のバンダム」とは、「選手層が厚く、競合ひしめくバンダム級(約53.5kg以下)」という意味だと誤解されることが多い。しかし、元々この言葉はジョフレただ1人を指していたのだ。対戦相手を探すのに困るほど、現在でもジョフレが最強のボクサーだと考える人が多いほど、彼の強さは際立っていた。
原田は生涯に二度ジョフレと拳を交えている。その勝負の結果は、ボクシングファンなら当然知っている。格闘技に詳しくなくとも、ネットで調べれば直ぐにわかる。勝敗がわかっていても、結末を知っていても、この2人の闘いは読むものの鼓動を早くする。単なる勝敗を超えた何かが、そこには描き出されている。文庫用に寄せられた巻末の解説で『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の増田俊也が書いているように、本書にはボクサーへの愛が溢れている。だからこそ、これほど読者の魂を揺さぶるのだろう。
決して器用なタイプではない原田が地獄のトレーニングを耐え抜き、ただ愚直に強さを追い求めた。多くの日本人が、原田を理想の日本人像と重ね合わせて応援した。原田は引退するまで、どんな遊びにも手を出さなかったという。今の時代なら非科学的なオーバーワークと言われるかもしれない。それでも、原田は全てをボクシングに捧げた。21世紀には生まれえない、時代を映したボクサーの姿が、言葉が、胸に刺さる。原田は現役時代を振り返って、著者にこう語った。
「他のことはいつでもできる。でも、ボクシングは今しかできない。それに世界チャンピオンとリングで戦える人生なんて、他に比べることができないじゃないか。」
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- 作者: 増田 俊也
- 出版社: 新潮社
- 発売日: 2011/9/30
巻末に解説を寄せている増田俊也の魂の一冊。この最強の男の名前もまた、政彦である。柔道史上最強の木村政彦の人生を振り返りながら、柔道がどのように生まれ変化したのか、昭和という時代がどのように流れていったのか、そして彼がなぜ力道山を殺さなかったのかを解き明かす。2段組700ページという圧倒的ボリュームを、圧倒的熱量で描き出す。一度読み始めれば、読み終わるまで他のことは手に付かない。読み終わった後も、ふと木村政彦のことを考えてしまう。アツすぎる一冊。Kindle版もある。超長文レビューはこちら。
- 作者: 柳澤 健
- 出版社: 岩波書店
- 発売日: 2012/5/25
ロンドンオリンピックでも圧倒的な存在感を示し、メダルを量産した、日本レスリング勢。海外発のこのスポーツで、体格に劣る日本人がなぜここまで世界で勝てるのか。そこには、レスリングの発展に人生を捧げた男がいた、がむしゃらにタックルし続けたレスレラーがいた。1つのジャンルが生まれ、成長して、広まっていく過程も丹念に描かれる。超長文レビューはこちら。
- 作者: 谷川 貞治
- 出版社: ベースボールマガジン社 (2012/10)
- 発売日: 2012/10
ボクシング、柔道、レスリングが積み上げた日本格闘技の歴史のうえに、K-1、PRIDEが花開いた。K-1、PRIDEが生み出した格闘技ブームは、大晦日に民放三局が格闘技生中継を行うまでに至る。驚異のモンスター対決「曙×ボブ・サップ」は、国民的番組である紅白歌合戦をも上回った。本書は、そのK-1の成長を支えた元K-1エグゼクティブプロデューサーによる、格闘技ブームを総括する1冊である。あれほど隆盛を極めた格闘技を、今テレビで見ることはできない。彼は何を謝っているのか。格闘技で何を成し遂げたかったのか。世間を動かすとはどういうことか。世界中の格闘家が再び日本のリングを目指す日はやってくるのか。何とも歯がゆい一冊。