女子プロゴルファーとの間に最近、第一子をもうけたかつてのトレンディー俳優が言ったかどうかは知らないが、今から約70年前のドイツでナチスの幹部たちはこう叫んでいたはずだ。
「不倫?何が問題なのさ?」
ナチズムと聞くと、抑圧的な政策を推進したことで広く知られる。伝統的な道徳観への回帰を説き、性に対する態度もそれは同じであったとの見方が支配的だった。純潔な結婚こそが民族の繁栄につながると主張して、スポーツなどを通じて若者に節制を学ばせてきたことからもそれは明らかだ。
ただ、当時の新聞や雑誌などでの幹部の発言などを丁寧に拾っていくと我々が想起するナチズム像とは別のナチズム像が浮かび上がってくると本書は指摘する。ナチズムは性に対しては抑圧的ではなく、むしろ開放的であったのだと。
それは『我が闘争』の中で純血を守れという趣旨の主張をしていたはずのアドルフ・ヒトラーの発言からも伺える。彼は内輪向けには保守的な道徳感に異議を唱えることが多かったが1942年3月には側近にこう漏らしているという。
“もっとも偽善的なのは『上層の一万人』だ。私はこの点について信じられないようなことを経験してきた。彼らは他人が婚外「交渉」をしたといって非難するが、自分は離婚歴のある女性と結婚しているのだ!・・・・・・結婚が自然の望むものの実現、すなわち偉大な生の憧憬の実現であることがいかに少ないか、考えてみたまえ”
性に対してヒトラーを始めナチス幹部が性に寛容だった理由のはひとつは人口政策。単純に性欲を肯定すれば子孫の増殖という彼らが言うところの「優秀な民族の繁栄」の機会は増える。ただ、重要なのはもうひとつの理由である。政治動員として性の利用だ。
抑圧された中、性的快楽を真っ正面から肯定することで、自らの政権の支持強化につなげたのである。性は生殖のためでなく、むしろ快楽装置として徹底的に活用したのだ。極論すれば、ヌードは氾濫し、若者は乱交に勤しむこともOK。不倫も目をつぶります。それがナチ体制下の性の実情だったのである
しかし、彼らの性への政治的介入は意図せざる結果ももたらした。外国人との性行交に励む女性や、イギリス風のファッションに身を包む青年があわられるなど性に限らず道徳全体が崩壊に向かう。
本書では一次情報をもとに議論を展開しているため、個々の話もおもしろいのだが、本書全体を通じては為政者が意図せざる結果とどう対峙するのかという現代にも通じる課題を我々になげかける。とはいえ、現代の日本の場合は意図せざるというよりもそもそも何も予期していない人が多そうだけど。