本書は外国語で書かれた底本がすでにあって、それを翻訳したものではない。英語で書かれてはいるのだが、日本語版専用の書き下ろしである。もちろん、ほぼ同時に英語版が出ているようだが、ソ連の数学界についての部分が欠けているらしい。日本人に生まれて良かったと感じることができる妙な翻訳書である。その英語版にはないソ連の数学界とユダヤ人についての前半が本当は極めて重要だと思うからだ。
翻訳は青木薫さんだ。この分野の最高の翻訳者であることは間違いにない。彼女のほとんどの翻訳書を読んでいると思う。編集者は下川進氏である。この二人のコンビによる科学読み物なのだから面白くないはずがない。
ところで、本書はけっして数学マニア専用の読み物ではない。文系の学生や主婦が読んでも理解できる。また天才の評伝でもない。我が子を天才に育てたい人にとっては使えない本だ。むしろ社会と個人の病理と栄光を書いたノンフィクション文学と言ってもよいかもしれない。
ともあれ、世紀の難問と言われる「ポアンカレ予想」を解いたペレルマンが、なぜ完全なる証明を行うことができたのか、そしてなぜフィールズ賞も100万ドルの賞金も拒否して数学界から姿を消すことになったのかという、2つの疑問に答えるために本書が書かれたようだ。そしてその疑問に答えるためには、ソ連における数学教育とユダヤ人、アメリカの数学界とビジネスモデルという2つのバックグラウンドを追う必要があった。
しかし、この2つのバックグラウンドの対比があまりに強烈だ。ユダヤ人を明示的組織的に排斥しながらも、国の威信をかけるところでは頼らざるを得なかったソ連。しかし、ソ連の数学教育は徹底した英才教育であり、教育者たちは大数学者を作り出すという誇りと希望に満ちていたようだ。
対比されるアメリカの数学界では成果を上げることがまずは重要であり、そのための研究費を調達するために、大学の看板となる有名研究者を集め、研究効率を上げるためのグループを作る。学会もまたレッセフェール世界なのだ。もちろんユダヤ人が排斥されることはない。
さて、主人公のペレルマンはあきらかに変人である。アスペルガー症候群などに属する可能性がある。ひょっとすると強迫性障害もあったのかもしれない。読んでいて痛々しく感じる場面が多々あるからだ。ポアンカレ予想を解いたあと、アメリカの大学やメディアに追われる日々が続く、しかし自分の論理世界とそれとが一致しないため異常な行動が続き、最後には論理的な自殺を選ぶことになる。つまり数学界から姿を消したのだ。
しかし、この物語には悪者はでてこない。ソ連の数学界もアメリカの数学界もペレルマンにたいして悪意はない。むしろ結果的にポアンカレ予想を解くために周到な準備を施し、解いたあとにそれを完全なものにするという役割を両数学界は分担したように見えるのだ。それほどまでにポアンカレ予想は難しい問題だったのだろう。
著者は1967年モスクワ生まれのユダヤ人女性で、ペレルマンと同様に数学専門学校で学んでいる。そしてペレストロイカを待たず、1981年にアメリカに移住した。ソ連の崩壊からまだ20年が経っていないにも関わらず、アメリカはそのシステムを変えられずに自壊しつつあるようにも見える。