○『菜根譚』洪自誠
味わうほどに深みがわかる「生き方」本の決定版
○洪自誠
生没年は不明。明の万暦年間(1573~1619年)の人といわれる。儒仏道の三教に精通した博学高識の士で、晩年は閑居し、世俗を超越した心境をもって隠君子として生きたといわれる。つねに困苦に耐えて人格を磨き、『菜根譚』を記した。
○あらゆる世代の共感を呼ぶ随筆集
『菜根譚』は、中国明代末期の万暦年間(1573~1619年)に書かれた随筆集である。
この題名には「菜根は硬くて筋が多い。しかし、それをじっくり噛み締めてこそ、その本当の味わいがわかる」という意味が込められている。
人との交わりについて書かれた前集222条と、自然と閑居の楽しみについて書かれた後集134条からなる。どれも短く簡潔に書かれた文章で、どこから読んでも、心に深くしみこむ言葉と出会うことができる。日本でもいくつかの翻訳本が出ており、経営者などのリーダー層に愛読者も多い。
とくに前集は、いかに生きるかの指針として、一方の後集は、第二の人生を有益に生きるための心得を説くものとして味わい深い。たとえば前集35条では、「難しいと思ったら、迷わず一歩引くこと。すんなり通れそうだと思っても、あえて少し譲ること。攻めるときも守るときも、『一歩引く』というスタイルをわきまえよ。謙譲の心にこそ本当の価値がある」と単純明快に説いている。
また、前集152条では、「なにげなく思ったことが鬼神の掟を犯し、なにげなく口にした言葉が世の中の平和を乱し、なにげない出来事が子孫にまで災いを及ぼすこともある。だから、いついかなる場合でも、思うこと、言うこと、行うことに、細心の注意を払うべきである」――つまり、慎重であれと語りかける。
○人間としての「原点」に立ち返るという思想
作者の洪自誠は、儒・仏・道の三教に精通していた博学の人物で、老いてのちは閑居して静かな余生を心ゆくまで楽しんだといわれる。したがって、文章の根底には、人の道を教える「儒教」、ガツガツせずに自足することの大切さを説く「道教」、そして苦悩する心を救うための「禅」という3つの教えが流れている。
特徴的なのは、「人間とは本来、完全なものだ」という考え方だ。人間とはもともと完全なものだから、人生の中でかぶってきたホコリを払い、本来の自分を取り戻せば、自由で平穏な人生を生きることができるというわけだ。
苦労や努力をして優れた人間になれというのではない。「本来の人間に戻る、あるがままの自分に戻る」という考え方が、いま一度、自分の原点、そして人としての原点に立ち返ることを思い出させてくれる。そこにこそ、いまも万人に愛されるこの書の魅力があるのだ。
○【使えるポイント】
●人の上に立つ者は、「無」の境地を知り、物欲から離れた心でいなければならない(前集64条)
●他人の短所は、自分が取り繕つくろってやること。他人の意固地さは、自分が諭さとしてやること(前集122条)
●豊かなときは貧しい人を思いやり、若いときは老人の辛さを思いやること(前集185条)
●忙しいと当たり前のことも忘れてしまうが、余裕のあるときは忘れたはずのことも思い出す。心の余裕こそが大切なのだ(後集37条)
●何事も一瞬の幻影であり、この世の本質は、対立のない静寂の世界である(後集99条)
○ブログ用追加記事
じつはちゃんと読んだことはない。古典とはいえ名言集はそもそも苦手なのだ。「そのとおりだよねぇ、人間はそうやって生きていくべきだよ」などとフンフンひとりで頷くのがキライなのだ。本書でも紹介している、同時期に書かれたモンテーニュの『エセー』は名言集のように押し付けがましくないのだが、ダラダラしていてすぐ飽きてしまう。こまったものだ。