本ブログは文学や現代社会関連の書籍の紹介は得意ではない。賛否両論が必然し、ひとそれぞれに価値感が異なるものについては臆病なのだ。本質的に結論のでない議論からは遥かに遠ざかるのみだ。本書も賛否両論があろうことは想像に難くないのだが、「気づき」があったので敢えて記しておこう。
ボクはそもそもビジネス書を好きではないのだが、本書を読んで自分が嫌っていたのはビジネス書全般ではなく、自己啓発書のことだと悟った。とりわけカーネギーの『人を動かす』などのアメリカ式項目列挙型原則提示本があまりすきではないのだ。さらにいうと「ポジティブシンキング」本なども好きではない。生来の天邪鬼なので、著者が言っていることが正しくても、その逆を張ってしまいそうなのだ。それでは損なので原則を語った本は読まないほうが良いということになる。
ボクは「自分探しの旅」などには出たことがない。本書が「自分探しの旅」の原点として小田実の『何でも見てやろう』や沢木耕太郎の『深夜特急』をあげている。両方とも読んだのだが、それぞれの刊行は『何でも見てやろう』は6歳のときだったし『深夜特急』は31歳のときだった。両書とも、奇しくも団塊の世代とそのジュニア世代が多感な時期に刊行されたことになる。ボクが属する世代はその二つの世代に挟まれた時期にあたるのだ。旅などに出なくても、世界のほうから大阪に万博としてやってきた世代だった。
本書では『絶対内定』という本が紹介され、「『絶対内定』で繰り返し強調されるのも「適職」が存在し、それらは「自分の内側」から探し出すものだという二つの論理である。」としている。それに対してボクは昔から「適職」などは存在しない。3年勤めてダメだったら辞めるべき、と考えている。ましてや「自分の内側」に何かがあるとは思っていなかった。内側とはこれから知識や知恵を積み上げていく場所であり、若いころは空洞しかないと思っていた。
最近は肉体労働、頭脳労働につづいて「感情労働」という分野が提唱されている、という。看護師や介護士、居酒屋の店員などもそれに分類されるべきであろう、と本書はいう。「感情労働」という言葉は知らなかったが、周りにいっぱいいるなと感心した。
本書の小見出しで「ハルマケドン2.0としての梅田望夫」というのがある。梅田望夫などのニューパラダイマーはパラダイム・シフトを唱えるものであり「現在の世界が終りを迎え、新しい世界が始まる」という終末論者そのものなのだ、という。その論理はともかく、梅田氏の宗教指導者のごとき穏やかな顔を思い出して笑ってしまった。ホント申し訳ない。
ところで「気づき」とは自己啓発セミナーでよく使われる言葉だという。もともと自分は知っていたのだが、いまそれに気づいたというイメージがある。読書経験をすればするほど、自分は元よりなにも知らなかったということに逆に「気づく」はずだ。寺山修司がいうように、書を捨てて街へ出てはいけないのだと思う。寺山のごとく競馬に狂い肝硬変で死ぬには、ほとんどの人は才能がないからだ。
ともあれ本書は面白かった。微妙な問題に対しても落ち着いていることが素晴らしい。文体もこなれている。ブログやネット、音楽や広告などの流行り物ではなく、本格的なテーマを扱ったノンフィクションを期待したい。