本書は祇園町の入門書だ。とはいえ、本書を読んだからといってお茶屋さんに上がれるわけではない。祇園町は一見さんお断りだから、知り合いに常連がいないと、お客になることは不可能に近い。
第1章は祇園町の1年間のイベント、第2章は「祇園のしきたり」として舞妓の話、第3章は祇園町の遊びという章立てだ。おそらく編集プロダクションが用意した原稿を、江戸文学者が監修したのであろう。よく調べてあって、ほとんど漏れはないようだがいくつか補足してみよう。
祇園祭について本書は7ページに渡り説明しているのだが、祇園町の常連がこれぞ祇園祭であるとする日和神楽についての説明がない。日和神楽は7月16日の夜、各山鉾町の囃子方がそれぞれの町会所から、八坂神社近くのお旅所というところまで「コンチキチン」を演奏しながら練り歩く行事だ。ここまでは宵山に行った人は知っているであろう。
しかし、日和神楽の本当のお楽しみはお茶屋で待つ「コンチキチン」だ。長刀鉾は山鉾巡行の先頭鉾であり特別な役目があるため、他の山鉾町とことなり八坂神社まで行き囃子を奉納する。そのあとで祇園町内の小道をぐるぐると練り歩くのだ。大きなお茶屋は囃子方のために、お酒や食べ物を門前に用意して待っている。お茶屋の客は座敷に座ったままで、祇園祭をゆっくり楽しめるのだ。日和神楽は夜10時くらいからはじまり、なかでも長刀鉾が町会所に戻るのは0時を越えるため、観光客はほとんど帰ったあとだ。
本書ではお茶屋で遊ぶ客のことを「祇園町の常連」という言葉をつかっているが、芸舞妓は馴染み客を「御旦那様」と呼ぶ。たとえば、3月になると都をどりのプログラムをそれぞれの芸舞妓が馴染み客に郵送してくる。この時にプログラムを熨斗紙でくるみ「○○御旦那様」と自筆で宛名書きするのだ。見に来てくれという誘いでもあるのだが、旦那衆は「お部屋見舞い」というご祝儀を自動的に差し入れることになる。舞妓の見世出し(店出し)や、舞妓から芸妓になるときの襟替のときやでも同様だ。
舞妓から芸妓になることを襟替えといい本書では「長襦袢の襟の色が舞妓のときの赤から白に替えることである」と説明しているが、これは少し違う。芸妓になる直前の舞妓の襟は真っ白なのだ。もともとは赤い襟なのだが、舞妓としての年季を積むにつれ赤襟に白の刺繍が徐々に加えられ、直前には真っ白になっている。御旦那様たちは舞妓の襟の色合いを見るだけで、どの程度の年季なのかほぼ当てることができる。
ちなみに本書でも紹介されている「野球拳」や「投扇興」などのお座敷遊びをしている人を見たことがない。もちろん自分でもやらないが、お茶屋が違うと楽しんでいる人がいるのかもしれない。
ともあれ、もし京都のお茶屋に誘われたら、絶対にNOといってはいけない。そこは舞、囃子、衣装、食事、建物など、日本文化の全てを集めたワンダーランドだ。演劇やコンサートと異なり、花街はそこに行かなければ楽しめない文化の集積地なのだ。