昨日に引き続いてサルコジである。第4章以降はいよいよ政治家としてのサルコジについてだ。著者は最終章で作家クリスチャン・サルモンの言を引用しながら、戦後を政治家の属性によって3時代に分類する。「国を担う政治家の時代」「エキスパートの時代」「ストーリーテラーの時代」だ。
国を担う政治家とはドゴール、チャーチル、ルーズベルトであり、日本では吉田茂がそれにあたる。エキスパートとはケネディ、ジスカールデスタン、福田赳夫だ。そしてストーリーテラーとはクリントン、ブレア、小泉純一郎である。
この場合のストーリーテリングとはマーケティングのいち手法のことだが、本書においては現代的なマーケティング論を利用した政治手法を指しているようだ。サルコジは綿密なリサーチとそれに基づくブランドストーリーの作成、排他的競争戦略などを利用しているというのである。
第4章において野党が人材の一本釣りで切り崩されるありさまが描かれている。マイケル・ポーター的な競争戦略ではなく、排他的なデファクト競争優位を得るためのマーケティング戦略に似ている。
サルコジが自ら作り出したブランドストーリーを強化するために、反対派が発する罵声すらも利用するありさまは、1990年代のマイクロソフトのそれに酷似している。否定派が騒げば騒ぐほど、自社製品のブランド名はその製品を必要としない層にまで深く浸透するという戦略だ。当時のマーケティング的には悪名でも超有名>そこそこ有名>無名だったのだ。
ともあれ、本書後半ではサルコジについてだけではなく、フランスについて目から鱗のエピソードがさりげなく紹介されている。フランスのメディアのほとんどは営利企業によって所有されており、印刷工のほうが記者よりも給与が高いというのだ。
ストやデモが行われ労働者が高度に組織化されている印象があるフランスだが、労組の加入率は8%でしかないという。英国でも30%だというのだ。しかもバカンス中にはストもデモも行われないらしい。
フランスは被占領国であり戦勝国である。カソリック国であり、地中海的な性格があり、左翼が政権を担ってきた国だ。本書はサルコジという荒事役者を通じてフランスという不思議な国を垣間見ることもできる本にも仕上がっている。
本書の編集者は『人を殺すとはどういうことか』の横手大輔氏だ。横手氏によると「ラシダ・ダチというアラブ貧民出身の法務大臣は、父親不明のままに去年子供を産んでいるのですが、その父親と目されていた一人はサルコジの弟です。ダチ法相は実際、バカンスもサルコジ家で過ごしたりしています。「誰が父親か」にはいくつか説があり、スペインのアスナール前首相、カタールの王子説などもあります。」とのこと。
面白すぎる。めちゃくちゃ安っぽいB級映画のようだ。しかし、こんな「野郎」を大統領に選ばなくてはならかったフランス人の苦悩も感じられる。グローバル競争のなかで自国が消滅していくような感覚があったのかもしれない。