私が東京で暮らし始めたのは予備校の寮に入った時で、服が詰まった大きなバッグ1つでやってきて、机とベッドが置かれた小さい部屋に入った(本は郵送だ)。あれから何年も、いや何十年も経ったけれど、この前あの建物がなくなったと聞いた時、やっぱりちょっと寂しかったのだ。当たり前だけれど、過ごした場所は思い出の一部になる。自宅はもちろん、学生時代のアパートとか、旅行先で泊まったホテルとか、クリスマスイブの夜に1人で入った中華料理店とか。
本書は、甚大な被害をもたらした東日本大震災で発生した「ガレキ」の処理問題に関する、当事者12名へのインタビュー集だ。取材は2012年5月末から行われ、宮城、福島の被災地に加えて、北九州、川崎等の受け入れ地域にまで及んだ。広域処理の反対者や産業廃棄物処理業者にもインタビューし、多くの立場からの意見が含まれる本となっている。
著者の丸山さんは、仙台出身のノンフィクション作家だ。インタビューの最中、またインタビューが終わった後、幾度となく「現状」や「ガレキ」や「絆」という単語を口にしたらしい。それは、丸山さん自身がこの問題に結論を出せずにいたからだ。ガレキ問題を「賛成」と「反対」の二極論でくくりきれない迷いがあったという。
ガレキは日本人が自らにつきつけた命題である。それと同時に日本の復興を目指すために通るべき試験なのだ。
本書の始めには、村井宮城県知事、戸羽陸前高田市長など、被災地の首長のインタビューが続々と掲載される。これを読むと、ガレキの広域処理申請が如何にやむを得なかったかがわかる。第一に、土地が占有されてしまっていてどうしようもない。復興の施策を打つためには、まずモノを移動しなければ何もできないのだ。次に、放っておくと発熱して火災が起こる。また、衛生上も問題が懸念される。そして最後に、感情的な問題があるという。
ガレキはある種、震災の象徴だ。遠くから見れば廃材だが、近づくと、それが子供のおもちゃだったり、洋服だったり、家具の欠片だったりすることがわかる。思い出の品なのだ。あまり目につかないように、迅速に処理したほうが好ましい。しかしながら、なかなか進まない。なにしろ物理的に多すぎる。宮城は未だ全体の20%程度、陸前高田は10%しか処理されていない。東松島では年間処理能力の150倍の量を取り扱っている。これらの事情により広域処理の検討に入ったが、それによって多くの反対意見を受けるようになった。
反対意見としては、福島から青森に「疎開」したシングルマザーの方へのインタビューが掲載されている。彼女が受け入れに反対するのは、成長段階にある子供たちへの影響を懸念しているからだ。
壊れた町が元通りになるのはもちろん大事なことです。しかし、こんな言い方はよくないかもしれませんが、ガレキではなく生きている人間を優先して助けて欲しい。
米国籍ながら東京に留まった外国人の方も、日本が「home」だから残ったと述べる一方、やはり、放射能による子供への影響を気にしている。そして、「ガレキの受け入れに関する日本人の行動は評価している、自分の意見を政府に言う事は大事だ」と述べる。反対意見の人は、2名とも仮名だ。北九州の産廃業者の方は「賛成する人も反対する人も中途半端な情報しかもっていないように見えます」と冷静である。
ガレキを受け入れる側のインタビューも掲載されている。川崎市長の阿部さんは、「筋の通っていない意見は無視する」という発言と、福島出身という経歴から、多くの反対意見を浴びた。しかし、コンテナを用いた貨物での搬送という広域処理のためのアイデアは、実は、新潟中越沖地震の際に準備されたらしい。聞いてみると、いろいろわかるものだ。
こんな悲しいモノを見るくらいなら、受け入れなんて最初から言わないで。
そんな簡単な問題じゃないだろと、ガレキの山が私を見下ろす。
私がもし非災県に住んでいて、私にもし子供がいたら同じ事をいっていたのかな。
丸山さんは、テレビで反対運動を見た女子高生のブログ記事を「始まりの言葉」にもってきた。本書が浮き彫りにするのは、本来であれば新しい単語で表現されるべきだったかもしれない「被災地に残された膨大な遺品的構造物」を「ガレキ」という一般的な単語で表現し、さらにそれを素性が明らかでない状態で他の地域に送り出したことによって発生した事態である。丸山さんが「二極論」でくくりきれずに迷ったのは、取材相手の意見が互いにすれ違っていながら、どちらも人柄は純粋だったからか。
2012年6月、大々的に報じらていた「ガレキ問題」は意外な形で一気に沈静化した。「原発の再稼働問題」が発生し、社会の関心がそちらに移ったのだ。問題がなくなったわけでは全くない。泥の臭いが消え、空き地に草が生えても、現地では先の長い処理が粛々と行われている。
最後に丸山さんはこんなコメントを残す。
私が本書で伝えたいことは、反原発でもガレキ受け入れでもない。ただ、忘れて欲しくない、それだけなのだ。
暮らした場所が思い出になる。今でもそうだ。遠くにいる私も、忘れないようにしよう。あの時、私も数日だけ「ガレキ」を運びに行ったことを。今、『ガレキ』という本を読んで、あの場所にいる人たちに、これからまた良い思い出が出来たらいいと思っていることを。
「フクシマ」論が話題になった開沼博さんの最新本。今の論争は「科学論争」ではなく「宗教紛争」と捉えたほうが理解しやすい、という意見が興味深いです。
福島県双葉町から埼玉の旧騎西高校へ避難した人々に密着したドキュメンタリー。
映画を撮影させてもらえるようになるまでの経緯や、ベルリン国際映画祭で絶賛されながらも「震災ツーリズム」と評される話など。
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双葉町同様に全員避難中の浪江町は、明日からの北九州B-1グランプリに「なみえ焼きそば」を出店します。私事ですが応援しております。浪江焼麺太国のリンクはこちら。合言葉は「そーっすね」。