なんとかオロジー=~ology というのは、「学問」を示す接尾辞である。したがって、タイトルにあげた「チンポロジー」は「ち◎ぽ」の学問。
という訳ではなくて、「チンプ」すなわちチンパンジーについての学問である。
われわれ人類と700万年前に枝分かれしたチンパンジーをめぐり、その生態、知能、進化、病気、言語能力、などなど、研究の歴史から最新の知見までをこれでもかと盛り込んである。それも文献だけでなく、実際の研究者へのインタビューも含めて。内容の豊富さから、まちがいなく史上最高のチンパンジー本である。しかし、もしかすると、最初にして最後の「総合チンポロジー」のノンフィクションになってしまうかもしれない。
教科書でも啓蒙書でも、ある程度以上に幅広い内容を網羅した自然科学系の本を書くのは、日本人にとって不可能ではないかと思っている。言語の壁のためである。そういう本を書くためには、専門外も含めて、膨大な量の原著論文にあたらねばならない。でなければ、責任を持った内容など書けるはずがない。そうなると、言語能力の壁というのはおそろしく高くて厚いのである。
もちろん英語ネイティブだからといって、自然科学の知識があるからといって、面白いものが書ける訳ではない。その証拠に、異なった領域をテーマにして、優れた科学ノンフィクションを何冊も書き続けることのできるライターというのは決して多くない。着想力、理解力、想像力、説明力、文章力、と、非常に多岐にわたる能力が必要とされるのである。
いちばんはじめに読んだ翻訳もの科学ノンフィクションは『ノーベル賞の決闘』ではなかったかと記憶している。脳下垂体ホルモンをめぐるギアマンとシャーリーの血みどろの争いは、まるで項羽と劉邦のようである。この本は残念ながら絶版になっているが、著者のニコラス・ウェイドは、科学者の捏造についての元祖本『背信の科学者たち』や『宗教を生み出す本能』など、次々と快作をとばしつづけている。
もう一人、ぶっちぎりのノンフィクションライターはサイモン・シン。『暗号解読』、『フェルマーの最終定理』、『宇宙創生』と、かなり難解で高度な内容を、素人にもわかるように、あるいは、わかったと思わせるように、きわめて論理的かつ明快に教えてくれる力はまちがいなくナンバーワンだ。しかし、『代替医療のトリック』で、代替医療のほとんどはインチキだと正しく論破してしまったために、法的に訴えられ、えらく忙しくなってしまっているらしい。一日も早くライターに戻ってもらいたいところである。
現在も進行しているガラパゴス島での進化を見事に描き出した『フィンチの嘴』でピューリッツァー賞を受賞したジョナサン・ワイナーも手練れのライターである。次作『時間・愛・記憶の遺伝子を求めて』も、天才分子生物学者シーモア・ベンサーの生涯をあますところなく描き、いたく感動させてくれた。ただ、そのあとの二作は、対象の魅力にやや欠けるきらいがあり、それほどの作品には仕上がっていない。なんとか、この悪い流れを断ち切って欲しい。
ウェイドはすでに70歳、シンとワイナーはちょとつまずき中。これでは先行きがちょっと不安かと思っていたところに颯爽と登場したのが、この本の作者、ジョン・コーエンだ。ウェイドと同じく、アメリカのトップジャーナル「Science」の記者であるコーエン、これが処女作ではなく三作目であり、うち一作はすでに邦訳されている。
HONZな生活は意外とつらい。人をかどわかす、じゃなくて、人に勧めるからにはそれなりの責任を伴うのである。コーエンの本をおすすめするために、もう一冊の邦訳をわざわざ買って読んだ。本人、じゃなくて正しくは本人の奧さんですね、の経験から書き始めた『流産の医学』がその本だ。まったく気合いがはいってない地味な邦訳タイトルでは、残念ながらあまり売れなかっただろう。しかし、あつかっているテーマがかなり限られているにもかかわらず、内容は多岐ににわたり、実に面白い愛情あふれるノンフィクションであった。
これらの名ライターにはそれぞれの持ち味がある。ウェイドとシンは、テーマを決めたら、データや歴史的資料を元にとことん切り込んでいく。だから、安定感が抜群である。それに対して、ワイナーは対象人物密着型。それだけに、はまれば強いが、おもしろさが対象に依存してしまうきらいがあり、近作二冊がいまいちになってしまっている。そして、この本の著者である新星コーエンは、これら二つを融合したようなスタイル。論文や著書を読み込んで自家薬籠中のものとするだけでなく、関係者に直接取材する。それだけに、安定感を保ちながらも、きわめてヴィヴィッドな本になっている。
この本は、どうしてチンパンジーが泳げないのかから始まり、チンパンジーとヒトとの雑種は可能か、そして、チンパンジーの病気と健康、へと進んでいく。このかろやかな話題スキッピングだけでも、斬新なスタイルをめざす書き手であることがうかがえるだろう。そして次のトピックはエイズ。80年代になり、あらたな疾患としてアメリカに登場したエイズであるが、そのウイルスは、アフリカのチンパンジーに起源を持つ。その説を丁寧に掘り起こしていく。
チンパンジーゲノムプロジェクトから、チンパンジーとヒトは遺伝子レベルでわずか1%程度しか違わないことがわかった。そのわずかな差違がどうしてこんなに大きな違いをもたらすのかも考察されていく。その昔、ヒトとチンパンジーの「あいのこ」である「ヒューマンジー」を作ろうとした研究者がいたというのは驚きだが、違いの最たるものは、知能の違い、そして、言語使用の有無である。
言語についてのところが、そのおもしろさと深さから、この本でいちばん盛り上がるところだ。言葉をうまく話せない家系の解析から、その家系において変異がある遺伝子が見つかっている。まず、偶然と必然に彩られたその研究の過程が冒険物語のように語られる。そして、その遺伝子の特徴についてのチンパンジーとヒトとの差違は…、というように話が進んでいく。単にチンパンジーについてだけでなく、分子生物学からゲノム医学の基礎まで教えてくれる。じつにすばらしい展開だ。
遺伝子解析よりはるか以前から、手話やパネルなどを用いてチンパンジーに「話をさせる」という試みがいくつもおこなわれてきた。一見、言語を繰るように見える場合もあるが、文法などの観点から解析すると、我々が思うような「言語能力」というのはないようである。もちろん、我が国が誇る研究成果の一つであるのチンパンジー・アイプロジェクトも、京大霊長研・松沢哲郎先生へのインタビューも含めて詳しく書かれている。このプロジェクトは、言語ではなくて「認知」についての研究であることも、もちろんただしく紹介されている。
チンパンジー研究の女王とも呼ぶべきジェーン・グドールに代表されるように、その知能の高さから、チンパンジーを単なる動物として扱うのは問題である、とする考えがある。そのような立場の人たちにとっては、たとえ他の動物では不可能であるからといっても、エイズウイルスをチンパンジーに接種する実験などというのは、もってのほかである。いろいろな立場があろうが、なかなかに難しい。
極端な人は、チンパンジーにも人間と同じような権利、「人権」を認めるべきだと主張する。ほんとうに、そのことが裁判にまで持ち込まれたことがあるというのは驚きだ。しかし、当然のことながら却下されている。「人権」を認めてしまうと、実際に報告例があるように、チンパンジーが人を殺してしまったならば、そのチンパンジーを被告に裁判をおこなわざるを得ない。もしそうなった場合、チンパンジーは法廷で供述できないから却下、というのは、笑いながらもおおいに納得。
曲折はあるものの、チンパンジーの「権利」は次第に認められるようになってきている。絶滅危惧種に認定されていることもあり、この流れが大きくかわることはないだろう。また、その流れの中で、実験に使用する目的でチンパンジーの繁殖をおこなうことも難しくなっている。いろいろな意味で、チンパンジーを用いた研究は、次第にやりにくくなっていかざるをえないだろう。こういったことから、この「総合チンポロジー本」が、斯界における最初にして最後の最高峰になる可能性が高いのではないかという気がするのである。
コーエンは愛情をもってチンパンジーのいろいろなことをしらべあげてからも、極めて客観的である。知能は高いといっても、ヒトよりもはるかに劣るし、言語能力もなさそうだと考えている。しかし、それでもチンパンジーにつよくひかれている。そのおおきな理由は、チンパンジーがヒトと似ているから、というよりも、チンパンジーが他の動物とは違うからだという。
まるでチンパンジー “のようなもの” になった気分
野生チンパンジーといっしょにすごしていると、こういう気分になるらしい。ゲノムが1%違うとか、脳の重さがどれだけ違うとか、言語能力がどうとかいう、記号化されたものではなく、きわめて身体的な感覚である。こういう、数値化された研究がおよばないところにこそ、自然科学のロマンが残されている。