竹本住大夫の自伝である。おなじみ日本経済新聞「私の履歴書」の書籍化だ。ちなみに近年「私の履歴書」で最も面白かったのは李香蘭すなわち山口淑子だった。本書は次点だが、経営者の自叙伝の何十倍も面白い。何万倍かもしれない。つまり経営者の自叙伝などはことごとく面白くない。そういえば佐野眞の『甘粕正彦 乱心の曠野』などは李香蘭の自伝を読んでからのほうがはるかに面白いはずだ。話が脱線した。
竹本住大夫は義太夫節の大夫である。三味線弾きと二人で人形劇である文楽に登場し、物語の一切を語るのが大夫だ。住大夫はその最高峰なのだ。もちろん人間国宝だ。義太夫節とは大阪弁丸出しのダミ声でわめくような感じの日本独特の歌唱法である。あまりに独特なので初めての人は面食らう。ともかく何を言っているのかさっぱりわからない。しかし、慣れてくると、これがじつに素晴らしいのだ。
ところで本書によれば、竹本住大夫は奈良の薬師寺の故高田好胤管主と同年生まれで仲が良かったとのことだ。昭和47年に写経道場の落成祝いとして「三番叟」を奉納したというのである。西塔や玄奘三蔵院の落慶でも奉納したらしい。
そもそも薬師寺は古代から「国家」の寺であり、一般人の檀家はいなかった。したがって時代がたつにつれ荒れるに任せたのだが、当時の高田管主はテレビなどで資金集めのための百万巻の納経を訴求し再建に成功する。ちなみにこの時の伽藍再建に技術力を尽くしたのが宮大工の西岡常一棟梁だ。西岡棟梁はいまでは良く知られている「やりかんな」という古代の工具まで再現した天才である。
また、話が脱線した。西岡常一は明治41年生まれ、高田好胤と竹本住大夫は大正13年生まれ。山口淑子は大正9年生まれだ。明治維新では世界に誇るべき政治家としての日本人を輩出したが、日本は昭和に入り世界に誇るべき文化の再建者を生み出したというべきであろう。住大夫はその最後の人かもしれない。今日も大阪の国立文楽劇場に出演している。関西の人は羨ましいかぎりだ。毎日劇場に行くができる。ちなみに文楽は見に行くものではない。聞きに行くものなのである。