まずは帯を引用する。「想像を絶する破天荒な荒行、大峯回峰行。断食・断水・不眠・不臥、死の極限の四無行。五穀断ち、塩断ち、炎の八千枚大護摩供。知られざる修験の超人的修行の実際と、その真実とは。」じつはこれで本書の紹介は充分である。以下は補足だ。
著者は大峯千日回峰行大行満大阿闍梨・塩沼亮潤師である。師は19歳のときにお坊さんになってから、今年で40歳である。本書は出版された時点では吉野一山・待明院の住職を務めておられる。写真で拝見するかぎり、とても若々しく健やかで普通の人に見える。
大峯千日回峰行とは吉野山金峯山寺(きんぷせんじ)で行われる命をかけた回峰行だ。ちなみに金峯山寺は「続日本紀」に載っている役小角(えんのおずね)が開祖であり、南北朝時代の南朝があったところだ。藤原道長、白川上皇などとのつながりも深く、江戸時代には家康の命で天海が学頭となったらしい。
さて、その千日回峰行とは往復48キロ・高低差1,300mの山道を、文字通り「毎日」16時間かけて9年間歩き続ける修行だ。この荒行は1300年間にたった二人しか達成した者はいないという。その二人目が筆者の塩沼師なのだ。ただごとではない。この無心論者のボクですら修行中の塩沼師を見かけたら、ひざまずいて拝むであろう。「尊い」という言葉を使える幸せがそこにあるからだ。
しかし、これに驚いていてはいけない。師はこの千日回峰行のあとに断食、断水、不眠、不臥を九日間続ける四無行という行も成し遂げている。帯でいう「超人的」という言葉は適切ではない。「超人」以外の何者でもないからだ。この修行がいかにとんでもないかというのは本書を読んでみてほしい。
本書は曹洞宗管長だった板橋興宗師との対談で構成されている。板橋師は「おわりに」で「阿闍梨さんのような青年僧がおられることを知り、この日本の将来にも希望が持てる明るい気持ちになりました。ありがとうございます」と記されている。まさにそのとおりだ。このような人が日本に存在するということは、宗教や宗派を超えて日本人にとって本当に幸せなことだと思う。