タイトルから誤解を招きそうなので、予め断っておくが、自己啓発書ではない。自動車王ヘンリー・フォードが発明王トーマス・エジソンから直接聞いた話をまとめた言行録である。今回新訳として出版された本書の原著は80年以上前に出版され、日本では昭和初期に一度翻訳されている。
二人はそれぞれ49歳、33歳のとき上司部下の関係で初めて出会い、その後、親しい友人として、お互いの事業を助け合う同士として、長きに渡り交遊を続けた。
二人の人類への功績は語るまでもない。エジソンはライフが選定した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で第一位に輝いている。彼の自伝は小学生の課題図書のテッパンであり、エジソンの並々ならぬ努力に感動し影響を受けた人物は数知れない。フォードも15位にランキングされている。大量生産方式を確立させ、20世紀の工業社会の基盤を築いた。ランキングの2〜14位にはコロンブスやニュートンなど冒険家や科学者が並び、産業界に限定すれば、フォードはエジソンに次ぐ功績を残したことになる。余談ではあるが、日本人は北斎が86位に名を連ねている。
フォードとエジソンが初めて顔を合わせたのは会社の年次集会であった。
会議は乗物用蓄電池の充電がメイントピックで、「馬なし馬車」つまりは電気自動車の可能性を検討していた。当時、移動手段に関しては、すべての電気技術者が電気で走るもの以外に新しいものや価値あるものはないと確信していた。しかし、フォードは密かに電気を利用しない「ガソリン車」を開発していた。
会議の最中、フォードは外でガソリン車を走らせ、会議参加者に披露した。エジソンは耳に手を当て(難聴だった彼の興味を持った合図であった)、すぐさまフォードを近くに呼び寄せた。
フォードにとって、少年時代から理想とした人物へ自分の発明を伝える最高のチャンスだった。フォードはエジソンからの質問の嵐を、すべてスケッチにして答えた。そして、発明の成功に確信をもったエジソンから熱く激励された。
「きみ、それだよ、やったじゃないか、がんばって続けなさい。電気自動車は発電所の近くに居なければならない。バッテリーは重すぎる。(中略)きみの自動車はなんでもそろっているー自前の動力装置を積んでいるー火を使わず、ボイラーもない、煙も蒸気もない。よくやったね。がんばりなさい。」
正しいとは思いつつも迷いながら開発していたフォードにとって、世界で最も電気のことをよく知っているエジソンからの一言で一挙に雲が晴れ、自動車開発は加速した。フォードは当時の出来事を、エジソンへの最高の賞賛の言葉にしている。
今日私たちが自動車と呼んでいるものの実現を早めた点で、エジソンはもっと功績を認められなければならない。
フォードは少年時代からの憧れにとどまらず、生涯エジソンへ心酔し続けた。フォード自身の事業成功後は、エジソンの一生を再現し、その”発想力”をアメリカに残すことにエネルギーを注いだ。電灯を発明したメンロパーク研究所を筆頭に、エジソンが過ごした家屋や研究所を忠実に再現した。ときには機関車と鉄道駅舎を買い取り、エジソンの少年時代の列車内実験室を復元するなど、その再現に執着した。
ここまで読まれてお分かりかもしれないが、本書では終始フォードがエジソンを持ち上げ続ける。発明家としての側面だけでなく、起業家や経営者としてのエジソンにもフォーカスを当てている。フォード自身が開発したとされる大量生産方式は、エジソンが先に実行したものだにその名誉を譲ってさえいる。
まず適正な価格を決め、利益を生むまで大量生産によってコストダウンをはかるという事業プランを始めたのは私だと世間では信じられているが、エジソンはずっと昔にそれをやっていた
我々が知るエジソンの少年時代は誇張され誤って伝えられているようで、英雄化されたエジソンとは異なる事実が本書で描かれている。しかし、本書の大部分はフォードによって英雄化されているように感じるので、Wikipediaを開きながら、読み進めることをおすすめする。Wikipediaで十分満足する情報量があるが、本書はそれでも買う価値はある。
———–
エジソンもフォードも素人発明家として本書に登場する。本書では、「専門教育を受けなかった」とか、「他の職業をしていた」という事をもって素人としている。高村のレビューはこちら。
エジソンの息子は親の名を騙って詐欺を働いたそうだ。成毛眞によるレビュー。エジソンの曾孫は、海外からも評価が高まっている水戸プラザホテルのリニューアル・プロジェクトを担当したインテリアデザイナーである。白熱電球が放つ優しい光のような安らぎと感動を、訪れる人々に与えてくれるホテルのようだ。