街と町は、違う。
私とあたしも、違う。
そして空地と空き地も、きっとどこか違う。
最初の1冊が取り扱うのは、「(公ではない)私が変えていく街」だ。
そこでは、空地は地価と収益性でシビアに評価され、市場の論理に翻弄される。
2冊目は「あたしがぶらつき、シャッターを切った町」の物語だ。
そこには、そもそも空き地がほとんど残っていないけれど、残された数少ない空き地の中に、あたしは郷愁を見出していく。
さて、まずは街の話をしよう。
ショッピングモーライゼーション。『都市と消費とディズニーの夢』の著者、速水健朗の造語だ。彼は本書の中で、ショッピングモールが生まれた歴史的背景と現代に至るまでの変遷を辿りながら、一般的には郊外都市型の商業施設として認知されているショッピングモールが、単なる消費の拠点に留まらないという事実を明らかにしている。それは現代において、都市計画そのものとも密接に結びついており、著者はそうした一連のムーブメントを「ショッピングモーライゼーション」と定義することで、都市・消費・そして住生活といったものの「今」を探ろうとしている。
ただ、その全体像を捉えるためには、まずはショッピングモールが生まれた背景を押さえておく必要がある。キーとなるのは「モータリゼーション」、つまり自動車の普及による社会の変容だ。
アメリカでモータリゼーションが始まったのは1920年代といわれるが、自動車の普及率が急増したのは1950年代だ。この頃、アメリカ社会には2つの意味で大きな変化が生じていた。
1つは、都心の荒廃だ。地方から大量に流入してきた労働者、そして第二次世界大戦中になされた政策転換によって大幅に増えた移民労働者で溢れかえる都市の中心部。失業の憂き目にあった者たちは路上生活者として住みつき、移民達は都心近くにスラムを形成していった。こうした流れの中で、都心の治安は急速に悪化し、従来そこにあったコミュニティとしての機能は失われていった。
そしてもう1つが、都市のスプロール化だ。自動車の普及とフリーウェイ/ハイウェイといった道路インフラの発展によって、都市は郊外へと拡散していき、中流階級の住民たちは、都心を離れた場所に新たに生まれた市街地へと移っていった。これは同時に、都心の空洞化をもたらすと共に、中央なき無秩序な拡散は、結果として経済活動全体の非効率を増長させていくことになった。
ショッピングモールとは、こうした2つの問題を抱えていた当時のアメリカ社会で生まれた新たな商業施設だった。1950年代という時代の産物であるショッピングモールは、その後、現代世界における都市のあり方を大きく変えていくことになるのだが、その構想における思想的背景や目的、あるいは成立と成長の軌跡を知るために、本書では主に2人の天才の足跡を辿っている。
まずは「ショッピングモールの生みの親」とされる建築家、ビクター・グルーエンだ。
上述したとおり、まさしく社会の変容の渦中にあった1954年、ミシガン州のサウスフィールド郊外に「ノースランド・センター」がオープンする。この施設を設計したのがグルーエンなのだが、彼は敷地の周囲を7,500台収容の巨大駐車場で取り囲むと、博物館や美術館を思わせる建造物に様々なオブジェや噴水、花壇などを配した総合的な環境づくりを行っていく。そして、施設の中核には運営元となったハドソン百貨店が据えられ、周囲の遊歩道には各種の専門店が軒を連ねていく。そして、エリア内にはBGMを流すことで、快適で楽しい環境を演出していくのだ。これはまさに、現代のショッピングモールの原型と言えるものだろう。
グルーエンは、単なる郊外型の商業施設を志向した訳ではなかった。彼は、かつての都心で失われた公共性、人間の交流を取り戻そうとしていた。大型駐車場を配したのは、エリア内で歩車分離を実現することで、モータリゼーション以前にあった人間的なコミュニティを再現するためだった。彼にとってショッピングモールとは、「郊外の新たなダウンタウン」だったのだ。
もう1人は、長きにわたって世界最大の入場者数を誇るテーマパーク「ディズニーパーク」を生んだ男。言わずと知れたウォルト・ディズニーだ。
ロサンゼルス近郊のアナハイム市南西部において、彼がディズニーランドをオープンさせたのが1955年。奇しくもグルーエン設計のノースランド・センターがオープンした翌年だ。ディズニーランドは遊園地とは区別され、「テーマパーク」と呼ばれるが、ウォルトはディズニーランドというテーマパーク事業の展開において、明確なビジョンを持っていた。外部世界の建物が極力視界に入らないように配慮された設計。ストリートの道幅も奥側をわずかに狭め、アーケードショップの2階部分を小さくすることで郷愁を誘う「強化遠近法」の活用。ファンタジーランドやフロンティアランド、トゥモローランドといった「物語(ナラティブ)」の導入による「現在」の排除。こうした様々な仕掛けが徹底されて、ディズニーはひとつの大きな世界観を形成しているが、その核心にあったウォルトの問題意識は、実はビクター・グルーエンのそれと極めて近いものだった。
それは端的に言えば、ノスタルジーだ。彼は保守主義者であり、大量生産・大量消費時代のアメリカが失ったものを取り戻そうとしていたのだ。都心の崩壊に心を痛めていたウォルトは、「テーマパーク」という形で新たな「都市」そのものを作ろうとした。最終的に実現こそしなかったものの、ウォルトは理想都市の構想を「EPCOT(Experimental Prototype Community of Tommorow)」というコードでまとめていて、それはディズニーランドの思想的バックボーンとなっていた。そして彼が、EPCOTの中核に据えるコア施設として熱心に研究していたのは、あのグルーエンによるショッピングモールだったのだ。
その後、ショッピングモールとテーマパークは、その底流にある問題意識をブレンドさせ、相互に影響を与え合いながら共に発展していくことになる。ショッピングモールは、物語(ナラティブ)の導入によって「テーマパーク性」を帯びていった。最近の事例で言えば、東京スカイツリーのショッピングモール「ソラマチ」が浅草仲見世通りを模しているのが典型だろう。強化遠近法のようなテーマパーク的手法を用いた視覚的演出も、ショッピングモールにおいて一般化してきている。一方で、テーマパークもショッピングモールとの融合が進んでいった。これは付言するまでもないことだと思う。
この流れは日々加速して、現代では都市計画そのものにショッピングモール的な手法が導入されている。そう、これこそが「ショッピングモーライゼーション」の本質なのだ。大量消費社会の到来と市場競争の激化によって、都市の機能を官だけで担っていくことはもはや困難な時代となった。収益性を度外視した都市計画は成立し得ない。いまや官公庁の庁舎や病院にスターバックスがあり、主要駅や空港がショッピングモール化しているのが、現代という時代なのだ。
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その時、街にあった「空地」はコインパーキングとなり、収益性の波に飲まれていくだろう。
でもあたしは、違う目でその景色を見ていた。その目が追っていたのは、今のコインパーキングではなくて、昔の「空き地」だった。あたしというのは、勿論レビュアーのことではない。『町の忘れもの』の著者、なぎら健壱だ。
本書は、前掲書とは全く異なるタイプの1冊だ。
なぎら健壱が、目的もなくただ自由に町を歩き、目に留まった懐かしいモノや場所をシャッターに収めていく。そう、いわゆるスナップだ。モノクロでプリントされた静かで温かい写真の数々に添えられた著者のエッセイは、何を論じるでもなく、何を主張するでもなく、ただノスタルジックで、温かい。硬めの本ばかりを読んでいると、ふとした瞬間、なぜだか急に手に取ってみたくなる。そういう類の本だと、個人的には感じている。
私自身は、当然ながら著者と同時代を生きてきた訳ではないが、本書を読み進めていく中で改めて思った。私が生まれ育った当時の豊橋の町には、色々な古いものがまだ残っていたのだと。
ざっとリストしてみよう。
ドブ。蝿帳。ハエ取り紙。コンクリートの滑り台。宅配ヤクルトの箱。リヤカー。木製の雨戸と戸袋。チンチン電車。どれもがとても懐かしい。
今でこそドブは使われていないが、子供の頃はドブだらけだった。路上でサッカーボールを蹴っていて、よくコンクリートの蓋がされていないドブに落としたものだ。蝿帳は、実家では今も使っている。学校から帰ってくると、真っ先に開けるのが蝿帳だった。母がそっと中に置いてくれていたおやつがいつも楽しみだった。ハエ取り紙も、まだ実家のキッチンには吊り下げられていたような気がする。私はあのベタベタする感じが嫌いで、できればやめてほしいと思っているけれど。宅配ヤクルトはさすがに当時も取っていなかったが、牛乳は宅配をお願いしていた。牛乳瓶を入れる小さな赤い箱が懐かしい。リヤカーは実家の倉庫に今も眠っている。先日帰省した時に、当時2歳の娘を乗せてあげたらすごく喜んでいた。木製の雨戸はなかなかの曲者だ。台風が来ているのが分かっていても、戸袋から出すだけで一苦労なのだから。母はいつも、早くサッシに変えてほしいと嘆いていた。チンチン電車は、今日も豊橋の市街を元気に走っている。どこまで乗っても大人150円だ。
つい個人的な思い出に浸ってしまったが、そんな昔の記憶を蘇らせてくれるものが、本書には詰まっているのだ。あなたの周囲にも、まだ残っているものはあるだろうか。
何もかもが、「ショッピングモーライゼーション」の余波にあって消えかけている。
それは仕方がないことかもしれない。いずれにせよ、都市の変貌は明日も続いていき、老朽化したものや、今では使途がなくなってしまったものたちは、時代と共に駆逐されていく他ないのかもしれない。
ただ、本書を読んでひとつ言えることがあるとするならば、そういう「忘れもの」のような愛すべきものは、まだ町に残っている。決して多くはないかもしれないけれど、確実に。少なくとも、なぎら健壱が構えたシャッターの先には、そういったノスタルジックなもの達が存在しているのだから。
もしかすると、私達には見えていないだけなのかもしれない。
町の郷愁というものが。古さの中にある価値というものが。時代の残り香とでもいうものが。
改めて、町をゆっくりふらついてみるのも悪くなさそうだ。
降りたことのない駅で降りて、スマホの電源をオフにして、ショッピングモーライゼーションと都市の将来に思いを馳せながら、町を歩いてみたくなる。
そう、あのグルーエンとウォルトの根底にあったものも、結局のところ、ノスタルジーだったのだから。
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商店街は、ある意味でショッピングモールの対極と捉えられているものだ。日本の多くの商店街がシャッター通りと化している一方で、地域住民の努力もあって復活を遂げようとしている商店街もある。本書は日本において商店街が形成された社会的背景から把握するための良書だろう。山本尚毅が以前レビューしている。
高松丸亀町商店街の再興に携わった都市計画家、西郷真理子氏の著作。この分野で活躍する女性は多くないというが、彼女はそのコミュニケーション能力を如何なく発揮しながら、商店街の再生を担っていく。非常に平易な言葉で綴られているが、とても興味深い1冊だ。