欧米回覧実記を読んでいてつくづくこの130年間、日本人は何をやってきたのか、という思いになることがある。久米は貿易を行おうとするには万国共通で必要な設備があるという。すなわち港湾設備、マーケット、銀行、両替商、および商工会議所である。
そして、日本を振り返って「わが国の商業のありさまを見てみると、問屋市場は買い手には有利だが売り手は常に弱い立場にあり、為替・両替といっても現金の両替を行うだけである。物産を運んで利益を図ろうとしても、海上運賃と比較して荷揚げ荷下ろしの費用が何倍も高く、西洋で万里の道を運ぶよりも、わが国では数百里運ぶほうが何倍も運賃がかかるというありさまだ。」と嘆いてみせる。
現代の日本においても、すくなくとも農業分野では問屋たるJAなどの力が強いことは自明だ。銀行システムも質屋的な不動産担保金融からは完全に抜け出ていない。なによりも物流については130年前の日本と全く変化はない。閉塞的な港湾業務と有料高速道路は経済的な関所として、江戸幕府開闢以来完全に機能しつづけている。
そのいっぽうで、久米はアメリカの議会システムをみて懸念をもつ。少し長いが引用しよう。「公職を法律で定め、法律を衆議によって決めるのは建前としては公平な制度のように見える。」が、しかし「議員全てが賢い人物であることは到底ない。非常にすぐれた意見や遠い将来を見抜いた見識は凡人の耳目には理解できない。」つまり「多数決で決めると上策は退けられて下策がとられるのが常なのだ。」と。
さらに「専門家によって起草された法律は十中八九必ず原案が通るものだ。賄賂が使われないとも限らないし、行政官の勝手な意見が立法府の論議を暗に左右することがないとも言いがたい。」昨今でも官製不況の原因となった各法律はたいした議論もなく国会を通過している。各大臣は各省官房長代理としてスポークスマンとして機能するのみだ。
久米が130年後の現在の政治状況を見たらなんというのであろう。久米はまたこうも言う「だいたい文明諸国において、政府機関に人物が多く集まっている国は、まだ未熟な国である。在野を見た場合、錚々たる人物が大勢見いだせるようでなければ、その国の文明は誇るに足りないのである。」と。