人生相談が好きである。どれくらい好きかというと、伝記を読むのと同じくらい好きである。他人の人生を覗いてみたいというお下品な趣味ねと人は嗤うかもしれない。が、ちょいと言い訳をさせてもらうと、私にとっては、伝記と同じように、人生相談も、ある意味で人生のテストパターンなのである。
悩みというのは、もちろん、フィリピンと台湾とポーランドに愛人がいて、それぞれに7人ずつ子供があって、とかいうような特殊な例もあるかもしれないが、多くの場合、かなり類似性がある。表面的には違っているが、このような特殊例であっても、つきつめていけば、女満別に愛人がいて子供が一人いる、という相談と、本質は同じなのである。さすがにちょっとちゃうかもしれんが。
もう30年も前に書かれた山口瞳の人生相談『キマジメ人生相談室』が最近出版されていて、その内容の多くが現在にも通用するのは驚きである。それぐらい悩みには時空を超えた共通性があるのだから、人生のテストパターンとして利用することが十分に可能なのだ。これにて言い訳終了。
人生相談の名人、というのがいる。相談のネタを見つける名人ではなくて、答える側の名人である。もちろん、いろいろなパターンがある。かつての開高健、現在の伊集院静のように、人生をしぶく生きろ系とでもいうべき人生相談は、説得力があるが、基本的には相談者にとって厳しい内容が多い。
対極にあるのが、おもろい系の人生相談。ずいぶんと昔であるが、朝日新聞が勇気をふりしぼって連載し一世を風靡した中島らもの『明るい悩み相談室』や、我らが大阪大学医学部の生んだ異才の精神科医・頼藤和寛先生の『人生応援団』などはその系統だ。はぐらかされているようでありながら、あはは、と笑えて、まぁええわ、という気持ちにしてくれる。これは大阪系の芸なのかもしれない。お二人とも早くお亡くなりになってしまったのは、かえすがえすも残念なことである。
いま、いちばん気に入っているのは、朝日新聞『悩みのるつぼ』の岡田斗志夫。どれくらい気に入っているかというと、わざわざカルチャーセンターまで、「岡田式『悩みのるつぼ』実践講座~悩みは解決させるな!?~」連続二回を聞きに行ったくらいなのである。岡田氏の回答は、その根底にある論理性と同情性がすばらしい。
人生相談が天職ではないかとまで語る岡田氏の実践講座では、その手法が分類され、論理的に説明され、予想以上のおもしろさであった。しかし、単に理詰めだけではない。相談者の気持ちになること、岡田氏の言葉を借りると「同じ温度の風呂にはいる」ことの重要性を説く人生相談者魂は、まるで宗教者のようであった。論理的でありながら浪花節、二律背反渾然一体るつぼ系と呼ぶべきか。
そして、西原理恵子である。名付けるとすれば、自分勝手快刀乱麻系とでもいうのだろうか。相談内容をぐぐぐいっと自分の経験にひきよせ、換骨奪胎・自家薬籠・一刀両断、抜群の切れのよさが感じられる。相談内容がタイトルにまとめられ、それに対する回答が「りえぞうさま」の字で短く書かれていて、それ立ち読みするだけでも十分に役にたちそうだ。以下、いくつか、質問と回答と私のコメント。
”義母からの「早く子供を」のプレッシャーがきついです。”
そのうち死ぬから、放っておけ
<そりゃまぁそうだ。
“30歳を過ぎて、いまだに童貞です。”
いますぐソープに行け!(北方りえぞう)
<はい、としか言いようがなかろう。
“60代の父が30代の女性と同棲。妙にやつれてきました。”
腹上死したらラッキーと思え。
<おぉ、そこまで割り切れというか。
“夫が浮気をしているようです。追求すべきか、見て見ぬふりをすべきか、迷っています”
携帯を勝手に見たアンタが悪い。
<ん、御意!
“「いらんこと言い」な性格をなんとかしたい”
大阪に引っ越せば問題なし。
<これだけは誤答。もう、大阪は飽和状態。
などなど、などなど。同じ温度の風呂どころではない。風呂の外から勝手なことを言いまくったり冷や水をあびせかけたりするのである。しかし、むちゃくちゃええかげんなようだけれど、不思議にストンと腑に落ちてしまう。西原理恵子、人生相談界に現れた超新星である。というよりブラックホールかも。