「9」日は眠れない。9日、19日、29日の夜、私はビール片手にうなっている。HONZのレビューを翌朝までに仕上げなければいけないからである。HONZの熱心な読者ならばご存じかもしれないが、HONZのレビューは輪番制。10日、20日、30日とゼロの付く日が私の当番日であるため、前日の夜ともなればオリンピックどころではないのである。
だが、考えてみれば、私の当番日は何ヶ月も前から自明なのである。「新刊の書評」というHONZの制約を差し引いても数週間先を見越してのスケジュール調整は可能なはずだ。それなのに、前日の夜、というよりも当日の未明になるまでレビューの執筆に着手しないのは我ながら何なのだろうか。なぜ、五輪のなでしこJAPANの決勝戦をまともに見れずに書評を書くハメになったのか。いきなり先制されたではないか。マンションの隣の住人がうるさくてたまらないではないか。ぎりぎりまで手をつけないなんて俺は単なる怠け者なのだろうか。そのような経緯もあり、このもやもやした心境を解消するとともにレビューも書いてしまおうというのが今回紹介する本。
著者は産業心理学の専門家。本書では既存の膨大な研究事例から先延ばしの要因を抽出している。対象は行動経済学から心理学、脳科学、進化生物化学まで多岐にわたる。全10章で構成されており、6章までで先延ばしの主因の解明や先延ばしの社会や個人に与える影響。残りで先延ばしを克服するための処方箋を心理学の側面から提示している。
まず1章、2章では先延ばしのタイプ分類や先延ばしのメカニズムについて言及する。行動主義心理学の研究によると先延ばしのタイプは3つに分類できるという。「どうせ失敗すると決めつけるタイプ」、「課題が退屈でたまらないタイプ」、「目の前の誘惑に勝てないタイプ」。私の場合、確実に3番目だろう。つまり、衝動性に弱い。著者の2万人を越す調査結果でも先延ばしと関連のある人格は衝動性という。
衝動性とはもっともらしい言葉だが自らをコントロールできなかったり直情的に行動してしまう性質だ。先延ばしするかどうかは、期待と価値を掛け合わせた未来の「ごほうび」の大きさと目の前にある「ごほうび」の大きさ(衝動性の強さ)の比較で決まるという。そして、その比較に影響を与えるのが時間だという。
つまり、こういうことだ。明日、レビューの締め切りだと思っていても、仕事帰りに30分程度なら飲んでも問題ないだろうと飲みに行く。1杯飲んだら、何杯飲んでも同じ気がして、「俺は追い込まれたほうがいいものが書けるのだ」と叫び、結局、居座ってしまい、日付がかわるころにようやく帰宅。家に帰っても「30分仮眠してからとりかかろう」と寝て、目を覚ますと3時を過ぎている。本も決めてない。ありゃまこりゃま、どうしましょう(←今、ここ)
単純な価値比較だと、私がレビューを書くことより、目の前のビールに目がくらんでいるみたいになるがそういうわけではない。、衝動性の強さに加え、明日の朝の締め切りという時間の長さが私をこうした状況に追い込んだというわけだ。私の場合、日刊紙の記者と言う仕事柄、毎日締め切りがあるので、1週間先の締め切りというのは永遠に先のような気がするし、明日の締め切りでも、「えっ、今日ではなくて、明日でいいの?」という感覚であることは確かだ。説明が長く「レビューを書くのは嫌いでないです。ビールより好きです」と必死に言い訳しているようにも映るが、著者は脳科学や動物行動学の研究によると先延ばしの原因は人類の遺伝的要因にあると説く。あなたが悪いわけではなく、人類の性なんですよとやさしく語りかけてくれるのだ。
私たちは進化の過程を通じて先延ばしを行うようになったと3章では述べている。衝動性が私たちに深く刻まれているのは現代社会で必要とされるわけでなく、狩猟採集生活を送っていた時代にはその性質が有益だったからだという。眠りたいときに眠り、食べたい時に食べる生活パターンは生き残るためには不可欠だったのだ。「先延ばし」という現象が発生したのは9000年前に農業が始まったとき。種をまき、刈り取るという作業を通じて「締め切り」ができたのだ。その時から今まで、私たちは意志と行動のギャップに悩まされ続けている。脳回路はいまだに食べ物がすぐ腐り、天候がたちまち変わるような時代にふさわしい感覚を前提にしているからだ。ただ、感覚は変わらなくても、私たちははるか未来の課題に取り組まなければいけない。こうした状況を説明しながら、著者は先延ばし癖は私たちの落ち度だけではないと指摘する。朝5時を回った今、レビューを書きながらもyou tubeでロンドン五輪の女子陸上をだらだら見始めて、この1パラグラフを書くのにに1時間かかったのも私が悪いわけではないのである。人間の捨て去れない習性なのだ。
とはいえ、先延ばしに対処しないわけにはいかないのが現実だ。5章では先延ばし癖が個人の財務状況や健康に悪影響を及ぼす例をあげる。6章では先延ばしの損害額をアメリカを例に算出し、いかに先延ばしが個人や社会に代償を支払わせているかを浮き彫りにする。アメリカンオンライン(AOL)の調査によると勤労者は8時間の労働のうち、2時間以上を先延ばしで無駄にしているという。結果、年間で最低でも10兆ドルの損失につながっていると試算する。
6章以降は前述のように先延ばしの克服方法について記述されているが、豊富な研究事例が盛り込まれている1章から5章までを読むだけでも自称「ミスター先延ばし」の私には考えさせられるものがある。先延ばしの損失がデータで多く示されていることもあり、「こりゃ、いかん」という気にもなってくる。早速、本レビューを書き終えたら、次回のレビューに何を選ぶかに取り組まなくてはいけない気がしてきた。レビューだけではない。連絡をしようと思って、先延ばしになっていた友人への連絡や、頓挫していた仕事に再着手しよう。俄然、前のめりになってきたが、著者はこうも指摘しているのである。「(先延ばしの)克服しすぎはよくない」。怠けて、だめなところがあるのが人間だと。過度な目的追求の無意味さを実証する先行研究もあるようだ。先延ばしすることは少しばかりは必要なのかもしれない。克服すべきかしないべきか。とりあえず、結論は先延ばしで寝てから考えようかなと。