ブラジルのサッカーW杯代表選手、あるいは日本の柔道オリンピック代表に対し、「2番じゃダメなんでしょうか?」と面と向かって問うこと自体、ナンセンスではある。が、ことスーパーコンピューターに関しては、”発言者”の意図はさておき、この質問が一般人のみならず、専門家、国策を担う政治家・官僚にとっても大きな一石を投じることになった。
本書の著者・金田康正氏は、計算科学の第一人者。2009年の行政刷新会議、「次世代スーパーコンピュータ『汎用京速計算機』プロジェクト」の事業予算判定には”事業仕分け人”有識者の一人として列席している。
本書では、次世代コンピュータープロジェクトについて開発の歴史・現在の課題・未来への提言が簡潔かつ網羅的に語られており、一読をおススメしたい。
「スーパーコンピューターとは何か?」― 一般的には「演算処理速度がその時代の一般的な計算機(コンピューター)より極めて高速な計算機」とされることが多い。身近な自動車の例でいうと、普通の自家用車(=計算機)とF1カーをトップとするレーシングカー(=スーパーコンピューター)の違いといったところだろう。
まさに、厳密な定義があるわけではないことこそ、スーパーコンピューターの性能が時代とともに急激に進化していることの証左でもある。日本では、2005年から倍精度浮動小数点数について1.5T Flops(テラフロップス)以上の演算性能ををもつコンピューターを「政府調達におけるスーパーコンピューター」と位置づけている。
現在ではとりあえず「1秒間に倍精度浮動小数点演算を1兆5000億(1.5テラ)回行う性能のコンピューターがスーパーコンピューターである」ということになっているが、これも今となっては低すぎる数値となってしまった。今我々が日常的に使っているパソコンも、コンピューター黎明期の数十年前に戻してやれば、当時としては立派なスーパーコンピューターで通じるのだ。
いったい、そのスーパーコンピューターでは何が出来るのだろうか? スパコンが最も日常的に使われているのは気象予報・天気予報における数値予測だろう。「”気象”は地球表面で発生する大気の流れによっておきる物理現象であり、その運動は流体力学や熱力学といった物理法則にしたがう。そこで、地球大気に起こる現象を物理法則をもとに予測しよう」というのが天気予報のカラクリだ。
もちろん、スパコンの用途は天気予報だけではない。エンジニアリングにおけるシミュレーション、大量の計算を「より短時間に・より正確に行う」のがスパコンの得意技。次世代スーパーコンピュータ戦略委員会は、スーパーコンピューター「京」の利用によって「社会的・学術的に大きなブレークスルーができる分野」、即ち戦略分野として以下の5分野を決定している。
[分野1] 予測する生命科学・医療および創薬基盤
[分野2] 新物質・エネルギー創成
[分野3] 防災・減災に資する地球変動予想
[分野4] 次世代ものづくり
[分野5] 物質と宇宙の起源と構造
それぞれのテーマを見てみると、かなりの広範囲にわたるスパコンの利活用が期待されていることが分かるだろう。研究課題も挑戦的なものが並ぶ。どれも戦略的な分野であり、進歩のスピードが目覚しいコンピューターの分野で他国の後塵を拝するようでは、あっという間に他国に水をあけられ、取り返しのつかない事態に陥ってしまうかもしれない。
他方、著者は別の見方として「総花的に計算リソースを展開しているように見えなくはないし、新しい研究費支給パスの準備が行われているとも見えなくもない」と指摘する。
コンピューター ソフトなければ ただの箱 (よみ人知らず)
問題はそれだけではない。「いま世界における半導体の技術状況をみた場合、プロセッサーにしてもメモリーにしても現存技術はピークに達しつつ」ある。単純化して言うと、コンピューターはハード(機械)とソフト(プログラム)が一体になって動いているわけだが、さらなる高速化に向けた打ち手としては、ハード面からのアプローチは徐々に手詰まり感が出てきているようなのだ。
それでも世界最速にこだわり、とにかくCPUの数を増やして「超々並列化」技術に走る、あるいは発電所1基分の電力を使ってシステムを動かす、といった金に物を言わせるやり方もなくはない。が、はたしてこれが科学的発想なのかという疑問も頭をもたげてくる。
しかも、米国・中国といった競争相手とは違い軍事目的の”派手な”開発予算が付かない我が国。ハードウェアの新規性でホームランが早々見込めないのであれば、「何をどう計算するのか」といったソフトウェアやアプリケーションに知恵を絞り、「選択と集中」が勝負の鍵となってくるのは自明であろう。
しかし、くだんの事業仕分けの際、莫大な国家予算を投入して実行する必要性について具体的な回答が求められたものの、文部省側の説明は「サイエンスには費用対効果になじまないものがある」、「国民に夢を与える」のが「非常に大きなこのプロジェクトの1つの目的」といったものに留まっている。
「あの議論は、というものだったと私は理解しています」
(とある”非専門家”仕分け人の言葉)
政治・経済、技術、スポーツ等、いずれの分野も高度化・専門化にますます拍車がかかるようにも見受けられるが、古今東西、その要諦は単純明快なところにあるのではないか。でればこそ、素人にも腑落ちできるような説明が適わないときには、気をつけたほうがよさそうだ。
よろず手遅れになってから反省会を開いて「失敗の本質」を検討する前に、“主戦場”を見誤るな、勝負どころを間違えるな。本書の事例からもそんな声が伝え聞こえてくる。
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今回、私自身はウェッジ選書シリーズを初めて取り上げさせていただいたが、既刊書でもナカナカ興味深いタイトルが並んでいる。「ウェッジの書籍」は「ブームにおもねらず本質を追求する良書」がモットーだとか。今後も要チェックです!