「君のおかげでこんなに心がなく、物ばかりのいやな日本になってしまった。君の責任で直してもらわなければならない」
30年以上前の大阪の料亭、「君」はパナソニック創業者松下幸之助、一喝したのは立花大亀、名経営者に遅れること5年、商人の街である堺に生まれた。大徳寺の住職として1899年から2005年まで3つの世紀にまたがって生きた、数少ない人物である。大徳寺は一休さんのモデル一休宗純が応仁の乱の後、寺の再興のため住職を務めたことでも有名で、利休の自刃する原因となった事件が起こった寺である。
幸之助はこの言葉に沈黙し、反論しなかった。そして4年後、私財70億円を投じ、松下政経塾を創設した。松下政経塾は現内閣総理大臣の野田さん(第一期生)を筆頭に、玄葉外務大臣、原口氏など現政権と民主党の中核を担われる方々を含め、数多くの政治家を輩出している。老師が言い放った冒頭の一言がなければ、松下政経塾は存在しなかったかもしれない。そう考えると、立花大亀の思想とその背景にある詫び茶は非常に興味深く、今読むのにもってこいのタイミングの気分になってくる。
しかしながら、高校時代に日本史をさぼった身であるため、茶の湯及び千利休についてはまったくの素人のである。わび・さびは外国人との会話で質問され、答えられずに慄くタチだ。学ばなきゃと思いつつ、侘び茶や千利休にこれまで触れてこなかった私のような読者でも予備知識なく読める。(※もちろん予備知識があったほうがもっと楽しめる)内容は老師の講義で配布された小冊子から、茶の湯にまつわる禅話を選定したものだ。掲載されているもっとも古い禅話は、50年以上もの時間を経過しているにも関わらず、古さよりも新しさを感じ、「温故知新」という言葉がどんぴしゃでフィットする。
本題に移ろう。利休は堺の街を支配した信長に見出され、秀吉の天下統一の過程で力を持ち、黄金の茶室も設計した。秀吉の怒りを買い自刃する前の、利休が公式に開いた最後の茶会の客は家康だった。安土桃山時代の英雄と共に過ごしながら、自らのいく道をぶらさずに詫び茶の思想を発展させた。僭越ながら、利休の印象的な言葉とそのエピソードを紹介することで、本書の内容に触れてみたい。
「家は洩らぬほど、食は飢えぬほどにて事足れり」
侘び茶の思想的、哲学的な教えが書かれた『南方録』冒頭に掲げられるもっとも有名な利休の言葉。本書にも繰り返し登場する侘びの名言、そのまま受けとると貧乏万歳!となるが、そうではない。質素で簡略な生活の意である。しかし、侘びは一定のものではなく、流動的なもので、生きる時代において常に慎み深いものでなければならないのである。
「自分は二畳敷の侘び茶をつくったが、それはやがて二十畳敷の大衆茶となるであろう」
茶の湯は禅から生まれ、茶禅一味であり、その茶の道は禅道仏法にたどり着く。利休は自身の死後に茶の湯は精神性を失い大衆化し、世間で茶は栄える一方で、真実の茶は廃れていくことを予測していた。400年を過ぎた現在、茶と禅はさらに離れてしまった。老師も現在の茶はまるでショーのようだと揶揄し、道を究める数寄者はわずかであることを嘆いている。
「侘びとは詫びることです」
ケインズ経済学の指導的推進者であったロイ・ハロッド氏が「侘び”思想”というのはいったいなんですか?」と老師に問い、そのアンサーであった。その流れで「なぜ、詫びなければいけないのか?」と聞かれ、食物連鎖の原則で、人間は殺生を避けることはできないと説明し、その中で10を8で我慢することで足るを知ることだと答えた。ハロッド氏はその回答にケインズ経済学と侘びに相通ずるものを感じ、非常に感激したそうだ。なお、利休も生まれた家は堺の貿易商であり、侘びの思想の根底には根強い経済思想が流れていたと考えられる。
この他にも日本特有の美、風土、文化といった内容を含蓄のある言葉にのせて、読者のこゝろのずっと奥のほうに届けてくれる。世間の騒がしさと日常の多忙さに辟易している方にぜひおすすめしたい!
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松下政経塾のことはお金をもらいながら、政治家になる勉強ができるというふれこみで就職活動中に知り、訪問したことがある。場違いだったのは言うまでもない。
日本初のクリエイティブ・ディレクターとしての利休を考察した一冊。