「はじめに」で「ぼくがこの本でやりたかったのは、歴史の魅力を少しでもとらえて伝えることだ」そして「もっと多くの(そしてもっと良質の)歴史の本を読んでみたいという(読者の)好奇心に火をつけることだ」と著者は言う。その目論見通り、本書を読みながらネットや蔵書の間とウロウロしてしまい、読み終わるまでにやたら時間がかかってしまった。好奇心の対象が増えてしまったようだ。ボクにとって英国史は新分野だったということだ。
考えてみると英国史をキチンと読んだことはない。山川出版社の教科書『世界史』においてヨーロッパ世界が登場するのは第4章からだ。その中で小見出しが立っているのは、ゲルマン人大移動、フランク王国、封建社会、ビザンツ帝国、十字軍などヨーロッパ大陸に関することばかりである。イギリスが初めて登場するのは
民族大移動のときからアングロ・サクソンが王国を形成していたが、1016年にデンマーク出身のクヌートによる王国、66年にはノルマンディー公国出身のウィリアムによるノルマン朝がひらかれた(ノルマンコンクェスト)
という一文だけで、じつにそっけない。その後のイギリスについてもジョン王の失政の結果としてのマグナカルタの成立、二院制の確立などにさらっと触れるだけで、むしろフランスとの百年戦争についての記述の方が多いほどだ。
同じ皇室・王室を持つ国だし、同じ島国だし、日英同盟だし、マンU香川だし、などと親近感を感じているものの、イメージはそこまでである。英国がイングランドとスコットランドとウェールズと北アイルランドの4か国の連合王国であることは知っている。しかしそれぞれの歴史については驚くほど知らないことが多いのだ。その理由は英国史といえば王様の名前ばかりでつまらないという印象があったからかもしれない。ありがたいことに本書は英国の時空を自由に飛び回り、読者を英国史の深みに引きずり込んでくれる。
マルクスが『資本論』と『共産党宣言』を書いたのはロンドンだったことは良く知られていることかもしれない。しかし、そのマルクスを追ってレーニンもトロツキーも、そしてなんとスターリンもロンドンに住んでいたという。それどころか、ヒトラーもリバプールに住んでいたことがあるらしい。ちなみにヒトラーはリバプールFCのファンだったという。そのヒトラーが住んでいた家はのちにドイツ軍の爆撃で破壊された。このなんでもあり感は英国リベラリズムの不思議である。
英国ではクレジットカードなどの暗証番号に1066という数字は使わないようにと注意されるという。本書によれば1066年は英国史にとって最も重要な年だからだという。それどころか英国史は「1066年とその他」から成り立っているというジョークがあるほどだという。そもそも英国はストーンヘンジを作った先ケルト人の土地に、ケルト人が侵入し、ローマが侵攻し、のちにアングロ・サクソンと呼ばれるようになるゲルマン人が侵略し、そこへヴァイキングが来るわ、デーン人が来るわのドタバタがあり、ついに1066年ノルマンディ公が情け容赦なく乗り込んできて支配してしまった。ノルマンコンクェスト以降の、なぜロビンフッドは森に住んでいたのか、なぜマグナカルタに「森に関する法令」があるのかは、本書を読むまではまったく知らなかったことばかりだ。
スコットランド人がどれほど世界に貢献しているかを、イングランド人に冗談めかして話すときは、マーマレード、レインコート、自転車、タイヤ、蒸気エンジン、麻酔薬、ペニシリン、ローストビーフ、テレビ、もちろんウイスキーなど20以上の事物を引き合いに出すことができるらしい。極め付けはアメリカ海軍で、スコットランド生まれのジョン・ポール・ジョーンズが設立したのだとして胸を張るという。そういえば、1765年に進水した帆船の戦列艦ビクトリー号はいまでもポーツマス軍港の港湾司令官の旗艦であることを思い出した。ちなみにロイヤル・スコットランド連隊本部はエディンバラ城である。
1845年から1849年にかけてアイルランドは大飢饉に襲われた。この期間アイルランドは全人口の4分の1を失った。100万人が飢餓や病気で死に、100万人が移住した。信じがたいことだが160年後のいまでもまだ大飢饉以前の人口に戻っていないのだという。この時に英国は信じられないほど冷淡な態度をとったという。その結果、英国はアイルランドを支配する根拠を失ってしまった。あれだけ近い2つの島が別の国として存在している理由だ。ちなみに1849年にはペリーが日本に来航している。
ことしはクイーン・エリザベス・ダイヤモンド・ジュビリーの年にしてロンドン・オリンピックの年だから、英国に関する出版物が大量に出てきている。そのなかでも本書は新書にコンパクトにまとめられていてオススメだ。ところで、現代史を第1章にもってきたのは失敗かもしれない。本書は第2章から読み始めることをおススメする。それにしても、いまでもカトリック教徒はイングランドの王位に就けないとか、税を軽くするよう領主である夫に頼むために裸で馬に乗った婦人の名前がゴディバだったとか、さすが現役のジャーナリストは読ませるツボを押さえていて卒がない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
英国史を概観するためにはもっともおススメの本である。歴史の国・英国を旅行するときには必携だと断言できる。160ページで1800円は高いと思われるかもしれないが、図版・写真も豊富で、構成や文章も完璧だと思う。
英国は制服の国だ。王室の結婚式には男子王族は軍服で現れるし、バッキンガム宮殿の衛兵はもちろん、ホグワーズ魔法学校の制服にいたるまで、かっこいいったらありゃしない。その制服を集めた本。一見の価値はある。その制服を現地で一気にみたければ、ロンドンで行われるパレード、ロード・メイヤーズ・ショーがおススメだ。
成毛によるレビューはこちら