著者は英国Financial Times紙でUndercover Economistという人気コラムを担当している経済記者だ。このコラムと同名の書籍は邦訳され『まっとうな経済学』として2006年に発売されている。当時はスティーヴン・レヴィットの『ヤバい経済学』が世界的に売れていたため、日本の出版社はそれにあやかった邦題をつけて2匹目のドジョウを狙ったのだが、あざとすぎて一部の読者に呆れられた。それに懲りて本書は原題の『Adapt』を『アダプト思考』とまっとうに邦訳したのかもしれないが、今度は内容が判りにくくなってしまった。『適応戦略』などのほうが良かったかもしれない。本も映画も邦題付けは難しい。
ところで本書の主張はボクが以前から主張してきたことと一致する。ボクの場合はヘタに目標なんか持たず、朝令暮改で、好きなことを、今すぐ躊躇せずにやって、失敗したら逃げろ!なのだが、本書では企業にはもはや企業戦略など不要であり、環境に対して柔軟に適応する能力こそが重要だと説明する。進化生物学の原理を企業経営にあてはめようというのだ。著者はこれを説明するために専門家による予測精度調査、仮想生物の進化プロセス実験、ソ連時代の改革者バルチンスキー、料理人ジェイミー・オリバーの実験、行動経済学者によるクイズ番組研究などなど、多数の事例を引き合いに出しながら説明を試みる。これだけで第1章50ページである。
第2章はラムズフェルド国防長官と現場司令官の両面から適応を学ぶ。上層部の驚くべき硬直性と現場の大佐クラスの驚くべき現実対応能力の対比が凄まじい。登場する大佐クラスの文武両道のまさに超能力にも唖然とする。第3章以降は気候変動や金融パニックなどの巨大な事例と、スカンクワークスやグラミン銀行などの無数の小さな事例を組み合わせて結論へと読者を導いていく。バラエティに富む事例を理解しながら、前後をつなぎ合わせて読まなければならないので、読み終わるのに時間がかかるかもしれない。
著者は現在39歳だから、もちろんグーグルやクラウドコンピューティングなどの分析も抜かりがない。若い読者でもまさにそうだよなあと膝を打ちながら読むことができるであろう。いっぽうで、英国小売業のホールフーズやティンプソンを例にとり「ピア・モニタリング・システム」の説明をするのだが、日本のダイソーやヴィレッジバンガードにもつながる分析で興味深かった。
昨日、パナソニックが本社人員を半分にするという報道があった。コストカット目的だけでなく、環境に適応するために本社を小さくしたと説明してほしかった。苦しみ続けている家電業界トップには是非この本を読んでほしいものだ。経営者は大経営戦略を作ることよりも、失敗を恐れずに環境に適応できる組織を作るほうが重要なのだ。
翻訳はおおむね問題ないのだが、軍事関連などの専門用語については若干違和感がある。大佐クラスを下級将校と訳すべきではなかろうし、対反乱作戦は対ゲリラ作戦と訳したほうが判りやすいであろう。このあたりが気になったので、第3章からは原書を読みだしたのだが、やはり日本語のほうがはるかに楽だ。第5章からは翻訳版に戻った。巻末に掲載されている参考文献の60-70%はすでに日本語訳がある。やはり日本人の9割には英語はいらないのかもしれない。