プロ野球のエースといえば、誰を思い浮かべられるだろう。古くは沢村、そして、金田、村山、江川、鈴木、佐々木、野茂、ごく最近ではダルビッシュ。年齢と時代によってそれぞれに自分のエースがいるに違いない。わたしにとってのエースはなんといっても江夏である。オールスターゲームでの9連続奪三振、延長11回を投げきって自らのサヨナラホームランで仕上げたノーヒットノーラン、そして、夭折した山際淳二が伝説にまで昇華させた「江夏の21球」。江夏は記録だけではなく、記憶にも鮮烈に残る真のエースであった。と言い切ったところで、そんなことはない、と反論できる人はいないだろう。
その江夏が「エースの資格」について語ったのがこの本だ。しかし江夏はいう。かつてはチームに必ず一人はエースがいたが、いまはそんなにたくさんはいないと。単に先発・完投して勝ち星をたくさんあげるだけでは、エースとはいえないのである。エースとは「『カラスは白い』といえば『白い』と納得させる」だけの存在であるという。いま、その江夏の目にかなうエースは、日本ハム時代のダルビッシュ、巨人へ移籍した杉内の二人。そして、楽天の田中も「もちはじめつつある」というが、斎藤佑樹は「エース候補」とすらいえないと切り捨てる。なんとなくわかるような気がしないだろうか。
江夏の現役時代、絶対的なエースとして崇めていたのは、阪神入団時にすでにエースとして君臨していた村山豊。そして、同世代である近鉄の鈴木啓示である。村山に対しては同じ球団での先輩・後輩、ライバルという関係でもあったために、やや複雑な感情もあるようだが、戦友・鈴木に対しては手放しで絶賛している。エースはエースを知る、というところだろう。また、ピッチャーは考えなければならないという哲学を持つ江夏は、江川について、エースであったと認めながらも、「考えないで成功した」唯一のピッチャーであると、少し手厳しい。しかし「もって生まれた素材だけでやっていたピッチャー」であり、それだけに「ほんとうの『怪物』」であったと驚きを隠さない。
そういう江夏もほんとうの怪物であった。この本を読むまで知らなかったのだが、高卒でプロ選手になったころ、直球だけしかほうれなかったという。それだけではない、いろいろと努力はしたものの、引退するまで、結局、直球とカーブしかほうれなかったというのである。ただし、バッターの動きを見て、「真っすぐを抜いたり、かわしたり」することはできたので、そういったボールが「バッターからの見た目にはスライダー、シュートのように変化していた。」らしい。これを天才あるいは怪物といわずしてなんというのだろう。そして江夏の心理作戦も優れていた。スライダーなどほうれないのにバッターから「いいスライダーだな」といわれると、「いいスライダーだろ?」と返して、スライダーも持ち玉であると思わせていたというのだ。エースはすべての策をも弄するものなのである。
江夏からみた、王、長島、との想い出話も、それぞれの特徴がわかっておもしろい。王だけは、江夏の「曲がらないカーブ」を打てなかったという。カーブだとわかると、カーブの軌跡をイメージしてバットを出してしまうために、曲がってくれないと当たらなかった、というのだから、さすがすごいバッターだ。しかし、ある意味でもっとすごいのは長島である。カーブを投げたのに、キャッチャーの田淵に「いいフォークだねぇ~」とため息をつき、あとで江夏にも「よく落ちるな、あのフォークは」と感心した。もちろん江夏はうなずき、長島から、鋭いフォークも投げるピッチャーと思われるようになったのである。
ほかにも、落合との麻雀での想い出、チームメートとの良き想い出やエラーされたほろにがい想い出、などがなつかしく描かれたり、リリーフに転向して成功したことについてのアンビバレントな感情などについて思いの丈が吐露されたりしている。そういった話を壮大なバックグラウンドに、江夏自身が考える「エースの資格」というものが、訥々と語られていく。江夏が語るのはもちろん野球に限った話であるが、どの領域であっても「エース」は存在するはずだ。しかし、それも、以前よりは減ってきているのではないだろうか。
先を見すぎてマイナス面にとらわれていたら、前には進まない。となると、果敢に前に進む勇気、工夫する勇気があるかどうかですよね。それはもう個々人の考え方があると思うけれど、勇気を持って取り組んで、どこまでその工夫をもとに自分で突き進んでいけるか。
自分にとっていいと思うものを追い求める過程においては、やはり、簡単にあきらてはダメです。考えて、工夫してもダメなら、もっと考えて工夫する。それぐらい強く追い求めたほうが、たとえ大きな成果が得られなくても、自分にとって必ずプラスになるはずですから。
「エースはだれもがなれるものではない」と言いながらも、こういったことを垂れながら「だれもがエースになりうる可能性を持っている」と励ます江夏。いちだんと好きにならずにはいられない。
野球にはまったくの素人である私であるが、この本からもう一つ、エースの資格として重要ではないかということを読み取った。この本で、江夏は、ボールを「投げる」とも語るが、それ以上に「ほうる」という言葉を使っている。大阪だけかもしれないが、「ほうる」という言葉には「投げる」という言葉にはない、ちょっとした優しさを含意している。死ぬほど工夫して努力しても、「ほうる」という言葉にこめられたようなやさしさと愛情を持たなければだめなのではないか。そう、エースはきっと一生懸命な対象に対して常に愛とやさしさを持って生きなければならないのだ。
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この本もあわせ読むと、もっと納得できるはず。