本書の執筆を手伝ったスティーブン・ファーは、教え子だったフアンのことをよく思い出す。1993年にティーチ・フォー・アメリカのメンバーとしてメキシコ国境近くに赴任したスティーブンは、「コロニア」に住む移民のフアンの担任になった。賢くて才能がある生徒だったが、進学するにはかなり遅れをとっていた。なにしろ、最も初歩的な読解能力テストに合格するだけで皆が一苦労、という学校である。むしろ学生たちの中退を防ぐため懸命に努力する必要があった。その上で、基礎学力テストで満足せず、大学を目指すよう叱咤激励した。毎日残業し、生徒をバスに満載して大学見学ツアーを敢行した。学校長を説得して大学入学試験講座を開講すると、生徒が大挙して申し込んだ。フアンは目覚ましい進歩を見せたが、春になって移民労働の季節が近づいてくると、勉強を継続させる方法について考えなければならなかった。
ピザ・ハットで両親と膝を突き合わせ、彼が勉強をがんばり続けることがどれほど重要かということ、そして夏の間も彼が学力を伸ばし続けることができる方法を見つけるつもりだということを話した。とても難しくて微妙な話し合いだったよ。家族に対して、フアンを夏のあいだ働かせないという大きな経済的犠牲を求めていたわけだから。
3人の子どもを養うためにアメリカに移民してきた両親は、なんとかしよう、と言った。フアンが成功するためならどんなことでもすると前向きだったのだ。スティーブンと同僚たち、そしてフアンは、夏季強化合宿などについて調べ始めた。スティーブンは、願書の書き方を教え、推薦状を書いた。数週間後に進捗を尋ねると、地元の大学の合宿で良さそうなものがいくつかあったので、そのどれかに決めるだろう、と言った。そしてついでのようにこう付け加えた。
あと、オックスフォードでのプログラムに合格したんだけど、奨学金が一部しか支給されないんだ。だから参加できないけど、おもしろそうだった。
スティーブンは、教職員にその話を広めていった。同級生と教師たちは、教師が寄付したテレビが当たるクジを一軒一軒売って歩いた。フットボールのコーチも、学校長も、演劇部も、フアンのために動いた。地元の新聞まで記事が載った。少額の小切手が集まった。フアンは、借り物のスーツケースに借り物のカメラを携え、人生で初めての飛行機に乗ってイギリスに旅立った。空港まではスティーブンが車で6時間かけて送った。
ティーチ・フォー・アメリカ(TFA)は、“すべての子どもたちが素晴らしい教育を受ける機会を得られること”を理念とし、大学卒業後の若者を低所得地域に2年間派遣している非営利組織だ。1990年、プリンストン大学4年生だったウェンディ・コップが始めたこの活動は、今や全米の43地域に9300名を派遣するまでに成長し、2010年には、文系学生の就職人気ランキングで第一位になった。グーグルやアップル、マイクロソフトより上位だ。派遣志願者は5倍の難関を突破した優秀な学生であり、派遣を終えた人材は多くの企業から引っ張りだこの状態になっているが、それでも6割が教育分野での活動を継続する。派遣される地域は、犯罪、薬物中毒などの問題を抱えた低所得地域だ。本書は、累計3万人を超える教師を派遣し、解決不可能と言われた教育課題の解決に果敢に取り組んできたティーチ・フォー・アメリカについて、創設者自らが述べた本だ。前半には優れた教室や学校から学んだ見識が詳細に、後半には今後の展望が紹介されている。リーダーシップやプロジェクトマネジメントの観点からもとても勉強になる一冊だ。なんて私が言っても説得力ないか。
優れた学校を訪れ、どうして成功しているかと質問すると、どの学校でも開口一番で同じ答えが返ってくる。人材だ。「驚くような答えじゃないでしょう」他にも様々な要素があるが、突き詰めれば、優れた教師がいなければどうにもならない。学校運営は、つまるところ極めて優秀な教師を発掘して保持することに尽きる。
では、教師がうまくやっていくことを予期させる特性はなにか。TFAからの派遣の後に自ら予備校を立ち上げたクリス・バービックは、最高の成果を上げている教師の気質を探るべく数々の心理テストを実施した。その結果、回復時間(リバウンドタイム:失敗から立ち直って再び取り組めるようになるまでの時間)、対立に立ち向かう意欲、満ち溢れる活力、といった資質が成功を予期させる要素であるとわかった。
また、その研究の過程で、最も優秀な教師が必ずしも底なしの楽天家ではないことがわかった。むしろ、どちらかと言えば悲観主義寄りだ。「最初は不思議だなと思ったのですが、考えてみれば納得がいきます。必ず失敗があると予測し、立ち向かう。努力しなければ物事がうまくいくわけがないとわかっているのです」。
なぜ、そこまでして生徒の成績向上を求めるのか。大学に行くことだけが幸せなのか。将来のことばかり考えて今を楽しまないのは、生きている意味がないのではないか?そもそも、あなたのことではないではないか?しかし、朝から10件以上のモーニングコールをかけ、月に最低2回は保護者に生徒の支援をお願いする教師、親を自分で起こしてから朝7時に登校するようになった生徒、教師全員と毎週個人面談をする学校長の愚直の連鎖は、そのようなロジックを超え、なにか、純粋なものを見たような気持にさせる。
私たちは卓越したレベルを期待することで、彼らを信じているのだと示してやらなければなりません。失敗ばかりを経験してきた若者にとっては、それが何より大切なのです。自分でさえ自分を諦めてしまったときに、大人が信じてくれるということが。
TFAが教えてくれたことをひとつだけ挙げろと言われたら、可能性を信じる心だと答えます。誰もが不可能だと言っても、本当は可能なのです。ただ実行するだけなのです。
学校の宿題で親の仕事を取材するのは、よくあることだ。著者の息子のベンジャミンもそのような宿題を与えられ、ティーチ・フォー・アメリカについてきくことになった。
「わからないんだよね。これがそんなに大変な問題なんだったらさ、どうして大学を出たばっかりで、問題が解決できるような経験が全然ない若い人たちに頼むの?」
そこで私はベンジャミンと膝を交え、彼の質問に可能な限り答えようとした。…経験が貴重なのは確かだが、未経験にも力があるということ。何が「不可能」なのかまだ知らず、無限のエネルギーがある未経験のうちだからこそ、若い人は他の人たちがとうに諦めてしまった問題に取り組んでいけるということ。…未経験の人々は、世界の仕組みがもっとよくわかるようになってしまった人々には不可能に思える目標を設定し、達成できるのだということ。
1人の大学生が始めた活動は今やアメリカ以外にも普及して、国際展開を担うティーチ・フォー・オールが組織されている。2012年1月、最も新しい23カ国目として、ティーチ・フォー・ジャパンが発足した。日本は現在、全児童の15%以上にあたる150万人を超える子どもが就学補助対象となっているそうだ。これはOECD加盟国の中でも4番目に高い数字ということである。