1992年12月25日、極寒のシベリア
バレリー・グライフェルは国営テレビから流れてくるニュースに目を奪われた。ミハイル・ゴルバチョフが超大国ソ連の消滅を宣言したのだ。45万人の部下を率い、西シベリア油田の生産量をサウジアラビア全体に匹敵するまでに拡大させたグライフェルが呆然としていた時間はどれ程の長さだったろう。途方も無い数の部下とこれまでの苦労、どれ程の思いがグライフェルの脳裏をよぎったかは分からないが、その体は動きをとめることはなかった。崩壊から1年も経たないうちに石油業界の大再編を見越して技術企業を立ち上げたグライフェルは、民営化の荒波に立ち向かうこととなる。
これは、自らの生活を根底から覆すような変革すら「チャンス」に変えてしまう力強い男たちの物語である。
1998年2月、ノルウェー中部の高級リゾートホテル
ジョーゼフ・ペレラとロバート・マグワイアはやり手の投資銀行家らしく、名だたる石油企業の経営幹部を目の前にしてもひるむことなくプレゼンを始めた。
上場している石油会社の上位のリストは、スタンダード・オイル・トラストの解体以来、ほぼおなじです
ジョン・D・ロックフェラーが現代に生きていたら、リストの大部分の会社が分かるでしょうね。
セブン・シスターズと呼ばれ、長らく石油業界を牛耳ってきた彼らはこのプレゼンの意味を噛み締めていた。1997年のアジア通貨危機に端を発する原油価格の急落で、危機感を募らせた彼らは、“スーパーメジャー”を目指した合併のための交渉を始める必要性をいよいよ現実のものとしてとらえ始めたのだ。メジャーからスーパーメジャーへの脱皮は、競合企業だけでなく、規制当局も巻き込んだ壮大なる交渉へと発展していく。
これは、競合企業、規制当局と抜け目ない交渉を繰り広げるビジネスマンの物語でもある。
2009年9月、コペンハーゲンの会議室
ヒラリー・クリントンの苛立ちは頂点に達していた。参加国、人数の多さに比例して、各々の意見の間に横たわる溝も大きくなっていた。合意など何一つ得られないのではないかとすら思えたそのとき、遅れてやってきたバラク・オバマにヒラリーはついこう漏らした。
コペンハーゲンは、私の経験では、八年生の生徒会以来、最悪の会議です
COP15と呼ばれたこの会議は、京都会議の後を継ぎ、より進んだ合意を得られるものとして期待が高まっていたのだが、そこに渦巻いていたのは希望ではなく混沌だった。国内での合意が全く得られていないアメリカ、途上国と先進国の置かれている立場の違い、急騰する資源価格、ポジティブな要素を探す方が難しい。そんな状況の中、帰国まで時間のないオバマは少々危険な賭けに出る。警備の制止を振り切って、招かれてもいないクローズドな会議が行われている部屋へ飛び込んだのだ。突然のオバマの登場に驚く中国の恩家宝首相、ブラジルのイグナシオ・ダ・シルバ大統領、南アフリカのジェイコブ・ズマ大統領、インドのマンモハン・シン首相を前にして、ひりつくようなギリギリの交渉が始まる。
これは、不可能とも思える目標を前に、それでも声の限り議論を尽くしてコンセンサスへ近づこうとする政治家たちの物語でもある。
1970年10月、霞ヶ関
池口小太郎は、大阪万博の成功を噛み締めていた。通商産業省でメキメキと頭角を現した池口は有望株としてその将来を期待されていたのだが、エネルギーと鉱業の担当となり愕然とする。池口を愕然とさせた理由は2つある。1つには、日本がいかに中東の石油に依存しているかということ、そして2つ目は、その危機的状況に対して周りの官僚がいかに無関心であるかということだ。この危機を伝えるために池口は物語の力を借りることにしたのだが、現役官僚なので本名での出版はできない。そこで用意したペンネームが堺屋太一。堺屋太一名義で出版した『油断!』の大ヒットをきっかけに影響力を増した池口は、NEDOの発足に携わり、“知識を基盤とする新産業を創出し、それに強力な輸出潜在力を持たせる”日本を実現するために歩を進めていく。
これは、国民の意識を、国のカタチを作り変えようとした野心溢れる官僚の物語でもある。
著者のダニエル・ヤーギンはピュリッツァー賞を受賞した『石油の世紀』でも知られる、エネルギー問題の世界的権威である。謝辞によると、本書はこの著者をして完成までに5年の歳月と一大プロジェクトチームを要している。それほどまでに本書が追い求めているエネルギーという対象は懐が深い。上記で紹介したシーンなどは本当に一部である。世界中のあらゆる場所、あらゆる時間における、エネルギーにまつわるあらゆるトピックが徹底的に盛り込まれている。それぞれのシーンを切り取る角度は政治、外交、軍事、経済、税制、科学と多岐に渡り、エネルギーを語るということは、世の中全てを語るということなのかと思わされるほどである。
もちろん、石油、石炭、天然ガスの埋蔵量や使用法などの基礎的情報は丁寧に解説されているし、普段馴染みの少ない資源掘削テクノロジーまで紹介されている。本書を読めば、在来型エネルギーはだけでなく、再生可能エネルギーの基本的な科学的原理からメジャーな企業、その市場の勃興に至るまでを概観できる。一度読んだ本を読み返す習慣のないわたしも、この本はことあるごとに参照することになりそうだ。エネルギーに関する統計や予測はネット上の無料のものだけでも膨大に存在しているし、次々と新しいテクノロジーの噂が聞こえてきて、何から手を付けてよいのか分からなくなるほどだが、本書を起点とすれば道に迷うことは少なくなりそうだ。
2012年4月、世界中のどこか
あなたは、この文章をどのようなデバイスを通して読んでいるだろう。携帯、タブレット、ノートPC、デスクトップPC、色々あるだろうが、これらは全て電気がなければ動かない。その電気はどんなエネルギーによって生み出されているだろうか。現在の日本であれば、天然ガスの可能性が高い。日本はこのまま天然ガスの依存度を上げていくのだろうか。再生可能エネルギーが主流となる日など本当に来るのだろうか。どのようなエネルギーをどのような目的で使うべきなのだろうかという問いは、我々はどう生きるべきかという問いに等しいかもしれない。この探求には終わりはない。
これは、わたしたち自身の物語なのだ。
_________________________
こちらも、エネルギーに負けず劣らずの大きなテーマ。現在のシステムでの食はそう長くは続かないのかもしれない。翻訳、解説はチョッキの似合うジャーナリストの神保哲夫氏。
本書の著者による一冊。思想が世界に与える影響について書かれているようです。学生メンバー刀根明日香によるレビューはこちら。