まずは成毛代表のお許しをちょうだいいたしまして、ここにご挨拶申し上げたく存じます。HONZファンの皆々様から「新刊ちょい読み」という名でかわいがっていただいてまいりましたが、「ちょい読み」と申しますと、一字違いの「ちょい飲み」みたいな腰掛け感があるのではないか、というようなことが議論されるにいたりました。つとにお知りおきのこととは存じますが、HONZのメンバーは常に命がけで読書にとりくんでおりまして、決して、「ちょい」という手抜き感ある軽い気持ちで本を読み書評を書いているわけではございませぬ。そこで、「新刊ちょい読み」あらため「新刊超速レビュー」を名乗らせていただくことにあいなりましてございます。つきましては、「新刊ちょい読み」にかわりまして、「新刊超速レビュー」を末永くご贔屓くださいますよう、隅から隅までずずずいーっと、請い願い上げ奉りまする次第にございます。そういうことで、と申しましても、どういうことかとんとわかりませぬが、「新刊超速レビュー」、御披露目の演目は「女中がいた昭和」にてございます。皆々様どうぞ最後までお楽しみいただきとう存じます。
「女中」、まぎれもなく死語である。「おてつだいさん」ならば、かつて九重佑三子や大場久美子が「コメットさん」で活躍していた。「家政婦」なら、つい先ごろまで市原悦子がいたし、いまでも松嶋菜々子がいる。1950年代後半の生まれであるが、「女中」なるものを見た記憶はない。そう、絶滅種なのである。しかし、第二次世界大戦のころまでは、これまた死語である「女工」とならんで女性にとっては代表的な職業で、40万人から100万人の「女中」が日本にいたのである。
どうしてそんなに急速に絶滅したのか?この本を読めばたちどころにわかる。ひとことでいうと、理由は簡単。需要も供給もなくなってしまった、ということなのである。電化製品が普及し、子どもの数が減り、家のサイズが小さくなり、女中が不要になった、というのが需要消失の原因であり、供給喪失の理由としては、他にも女性が従事する仕事が増えた、ということや、女中のような職業はイヤだと思われるようになったことなどがあげられる。
昭和のくらし博物館で開催された「女中の昭和展」の展示をもとに編集されたこの本では、豊富な資料を用いて、女中というものが多角的に解説されている。第一章「女中が身近だった時代」を読むと、なるほど、激務である。休日もほとんどなく朝から晩まで拘束され、家庭内のありとあらゆる雑務をまかされる。世の中が豊かになると、嫌われる職業になっていったのは仕方ないだろう。逆にいうと、戦前は、行儀見習いという名目があったにせよ、そういう仕事につかざるをえない女性がけっこういたということでもある。
プライバシーのない日本家屋で主人の家族と同居する、というのは、主従双方にとって相当に難しい問題であったようだ。そのために「女中訓」なるものがつくられていた。女中仕事のマニュアルであるが、心構えも種々書かれている。「隣近所をスパイすべからず」とか、「出世する女中は一寸の閑も上手に利用すべし」とか、読んでみるとなかなかに面白いのであるが、当事者である女中たちにとっては、肉体的のみでなく精神的にもさぞ過酷な仕事であったことがしのばれる。
そして「女中と性」である。「女遊びは男の甲斐性」とか、「一盗、二卑、三妓、四妾、五妻」などと、入力しただけでバチがあたるのではないかという不安にかられるほど恐ろしい言葉がまかりとおった時代、推して知るべしである。人権意識が今とは違う時代、泣き寝入りが常であったので、正確な数はわからない。しかし、主人による強姦、そして、不幸にも出産、というのも、相当な数があったようである。
「命を捨てても貞操を護れ」という教えの内容が、「大声を出す」、「いつも隙のない身構えで、態度をはっきりさせておく」、「必ずズロースをはく」、「変な態度で部屋に呼ばれたら、咄嗟に心構えをして、言い寄る隙を与えない」、くらいでは、心許なさすぎるではないか。ズロースをはいたところで……。さらに、被害にあってしまったら、「『ことをあらだてる』のはタブーとされた」というのだから、やっぱり恐ろしい。
ほかにも、「女中部屋」や、「女中がいた昭和」最後のあだ花ともいえる「占領軍家庭のメイド」なども、写真や新聞・雑誌記事、統計資料などを駆使しながら説明されている。そんな時代が、そう遠くない過去にあったのである。「昭和の女中」という存在を通じて、いまの、そして、これからの社会や家族のあり方を考えてみてはどうだろう。
編者の小泉和子さんは、「昭和の暮らし博物館」の館長で、ご自宅であった建物を博物館にしておられるらしい。一度、行ってみよう。この本を足がかりにアマゾンをぼちぼち散歩していたら、おなじく小泉さんの『昭和 台所なつかし図鑑』とか、『昭和の家事 母たちのくらし』とか、ぽちぽちしてしまった。あかん、さらに薦められて『昭和 子ども図鑑』も買ってしまった。すっかりラララ昭和の子といった気分である。