実に全591ページ、しかも二段組である。重さは865ℊ。手で持って読もうとするとやがて本(とその内容)の重さに手が震えてくる。それでも本書は短縮版なのだ。日本版は14章だが、原書は24章まであるという。
この膨大なボリュームで書かれた本のテーマは、中国の「大躍進」である。昨年大いに話題になり、成毛眞もレビューを書いている、フランク・ディケーター著『毛沢東の大飢饉』と同様、3600万人(ディケーターの本だと4500万人)が餓死した「人類史上最悪の惨劇」をとりあげたものだが、こちらは元新華社通信の記者が書いたという、いわば「中から見た」大躍進の姿だ。中から見た、というだけでなく、実は著者の楊継縄氏は、その当事者とも言える。自身の育ての父親が大躍進のさなかに、餓死しているのだ。
にもかかわらず、著者は当時共産党を信じ切り、共産主義への忠誠心を失わなかったという。しかし、やがて文革で生じた不信感は、新華社で真実を知り、ニュースが政治権力を代弁するために作られていく過程を体験したことで増幅し、天安門事件で決定的なものとなる。
そして新聞記者の特権的立場を使い、各省の内部資料を入手し、また取材を重ねて当事者たちの証言を得る。10年かけてそんな取材を繰り返し、その結果執筆されたのが本書なのだ。中国本土では言うまでもなく発禁処分である。何より当事者性と膨大な一次史料に裏打ちされた記述によって特徴づけられた稀有な作品であり、その記述からは、あまりに悲惨な「史上最悪の人災」が生々しく浮かび上がる。
1959年10月、熊湾小隊社員・張芝栄は、食糧を供出することができず、縛られたうえ薪や棍棒で殴られて死亡した。大隊幹部は「お前の身体で食糧を作れ!」とわめきながら、火バサミで死者の肛門に米や大豆をつっこんだ。張が死んだあと、残された八歳と一〇歳の子供は相次いで餓死した。
同年一〇月、陳湾小隊社員・陳小家と息子の陳貴厚は、食糧が供出できず、食堂の梁に吊るされて殴られた挙句、戸外に放り出されて冷水をかけられた。父子は七日のうちに相次いで死亡し、残された二人の子供も餓死した。
飢餓のなか、人肉を食うのも常態化する。死んだ家族を食べる事例は多発し、子供を殺して食べる事件も多発する。
例えば河南省の元信陽地区責任者張樹藩は次のように述べている。
「信陽五里店村の一四、五歳の女の子が四歳ぐらいの弟を殺して煮て食べた。両親が餓死したため、子供二人だけが残され、飢餓に耐えかねて弟を食べたのである。この事件は私のところに持ち込まれたが、扱いがとても難しかった。法に則って処罰すべきだが、生きるためにしたことでもある。一晩考えてやはり女の子を逮捕した。逮捕しなくてもこの子は餓死する。牢屋に入ればまだしも食べることができるーーそう考えた」
こんなふうに大量の餓死者が出るなか、幹部はより肥えるほどに食物を食べていた。労働者の49%が死亡したある公社では、59年秋から60年5月までに牛や豚の肉1500kg、家鴨300羽以上、魚75kg、羊15頭、ごま油85kg、食糧2500kgが幹部よって消費されている。
先の引用でも記したように、単に飢餓のみでなく、撲殺される事例が極めて多いのも、「大躍進」ゆえだ。幹部がより下位の人間を殴ることは常態化し、それは苛烈を極めた。ある人民公社では3528人が殴られたが、558人がその場で殴り殺され、殴られたあとで死んだ者が636人、障害が残った者141人、という記録がある。あるいは別の統計では、ある県で殴られた者のうち、その場で死んだ者226人、傷がもとで死んだ者360人、自殺した者479人とある。自殺者の多さからも殴打というより、拷問に近いリンチであったことが想像できる。
幹部が殴るのは実は切実な自己保身でもあった。殴らない幹部は闘争姿勢が弱い、というレッテルが貼られる。これはすなわち、すぐにでもリンチを受ける側に回ることを意味するのだ。
正直、こんなふうに本書の内容を引用しているだけで鉛を飲み込んだような重い気持ちになる。いったいなぜこんな事態がおこったのか。
そもそも現場を無視して共産党が作物と生産量を決定し、集団で農作物を生産することに大きな無理がある(なにしろ毛沢東は「思いつき」で作物の株や畝の間隔まで指示し、それが超密植ゆえ、ほとんど収穫不可能な状態を生み出したりもしているのだ)。そして集団化によって、危機の際したときに農民たちの自助を不可能にしたことも一因だろう。しかし第二次世界大戦において全世界で出た死者に匹敵するだけの人間が、わずか3年、しかもある特定の地域のみで死んだという驚くべき「人類史上最悪の惨劇」が生まれたのは、まさに愚行に愚行を重ね続けたからだ。
まず、資本主義の温床である「家庭」を消滅させるべく、家での調理、飲食を禁止し、料理を公共食堂ですべて行うようにしたこと。調理をして食べるという、生きるための基本的な行動を、農民たちは党に奪われた。そして言うまでもなく毛沢東への絶対的な服従、という問題。彼の理想を達成するため、現実のほうがねじ曲げられたのだ。
例えば、大躍進は成功し、農業生産高は劇的に上がっているというウソの報告がなされる。大量に餓死者が出ているにもかかわらず、公式には農産物が余って仕方がないという状況が生まれるわけだ。そしてそのウソの報告をもとに国が農民から買い上げる農産物の量が決まる。しかし、買い上げようにも実際の収穫物は足りないので、農民たちは生産物を根こそぎ奪われるが、それでも公式の数字とは合わない。そこで党幹部たちはこう考える。「数字があわないのは日和見主義者、極右派、元地主など反革命集団が食糧を隠匿しているからだ……」 ここから拷問とリンチ、徹底した収奪が始まるわけだ。加えて『毛沢東の大飢饉』のレビューにも書かれているような、呆れるような愚行が重なる。
本書には「独立した、民主的な、相対的報道の自由がある国では、重大な飢饉は起きていない」というノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センの言葉も引用されている。毛沢東の強固な独裁、しかも異なる政治見解を徹底的に弾圧する政治上の独裁、高度に集中した計画経済を推進する経済上の独裁、そして異議の発表が不可能な、世論と思想の独占が同時に行われる、著者がいうところの、マルクスと始皇帝を合わせたような「極権主義的な独裁」こそがその根源的な理由であることはもちろん言うまでもない。
本書は、各地の状況を史料と取材によって浮かび上がらせると同時に、その点にも大きく筆を割く。毛沢東独自の権力掌握方法である「会議政治」について、なぜ周恩来が毛沢東に反対せず被害を拡大させたのか、劉少奇の台頭と失脚、そして毛沢東の危機への対応方法などについても詳述し、政治構造と飢饉の本質的な関係に迫っている。
なお、本書の原題は『墓碑』である。著者は本書を、大躍進によって餓死した父親の墓碑、そして数千万人に上る餓死者全員への墓碑にしたいという思いがあるという。そしてさらに、本書を出版したことで政治的な危険にさらされている著者自身にとって、もし何かあった場合、本書が墓碑になる、という意味も込められているそうだ。まさに命懸け、渾身の作品である。