日本で長期低落傾向にあるものといえば物価、政治家の質など、政治経済に関するものがすぐに思いつくのだが、より長期的で深刻な悪影響があるのは国民の科学技術への関心度の低さであろう。本書『科学嫌いが日本を滅ぼす』の冒頭でも、30年ほど前には高校での物理学の履修率は7割を超えていたのだが、いまでは3割以下に落ち込んでいると著者は嘆いている。まさにそのとおりで、福島原発事故直後の言論人の科学に関する頓馬ぶりには、ただただ驚愕するばかりだった。原発が原爆のごとく核爆発すると思っていた自称専門家すらいたほどだ。
ところで、すべての生き物は神が創りたもうたもので、進化論など絶対に信じないという不思議な人々が多数いるアメリカですら「サイエンティフィック・アメリカン」という一般向け科学雑誌が50万部も売れている。しかし、日本ではその20分の1しか読者はいない。
外国企業からみるならば、日本から科学技術を奪いとってしまえば、悲しき老人天国の、先細り消費国だ。もはや競争相手ではない。円高を利用して自国で余ったものを売れるだけ売りつけ、円安になれば逃げきるという感じであろう。
そうなってはならじと、世界の2大科学雑誌である「ネイチャー」と「サイエンス」を紹介しつつ、警鐘を鳴らすのが本書だ。両誌の歴史的な背景をはじめとして、日本人にとって英語は必須なのか、ノーベル賞は本当に最高の賞か、両誌の福島原発事故報道など、時局に沿ったテーマで柔らかに科学技術の重要性を訴える良書だ。
ところで、本書は選書というフォーマットだ。特徴は活字が大きく、紙も厚めだから、目にもやさしく、ページもめくりやすい。もはや科学技術など関心事ではなくなった年齢層でも、子供世代や孫世代を憂いながら、やさしく読むことができる。科学技術の先端ではタブレット端末で電子本を読んでいるイメージだが、いっぽうで紙質にまでこだわる読者もいるわけで、このあたりの按配がじつに難しい。
(週刊朝日2月10日号掲載)