ていねいにていねいに、心をこめて、大切に作られたノンフィクションだ。なにごとかを強く主張するために作られたわけではない。さりとて、第三者である取材者の目で作ったわけではない。この本は思いを共にする人々と土地の記憶をたぐる旅の記録である。
あえて「本を作る」と書いた。本書は二〇〇八年に公開された記録映画『オオカミの護符』をもとに書かれているからだ。そもそもこの映画は、著者小倉美恵子自身が川崎市土橋にある自宅周辺の古老を訪ね歩いた映像記録を発端にしている。家庭用ビデオカメラで五年間にわたり、伝統行事などを撮り続けるうちに支えてくれる仲間が増え、やがて本格的な映画として完成することになった。平成二〇年度の文化庁映画賞文化記録映画優秀賞や二〇〇九年度アース・ビジョン賞を受賞した。
コンビナートの印象がつよい川崎市だが、じつは臨海地帯から多摩丘陵まで細長い形をしている。土橋は多摩丘陵側にあり、おしゃれな街「たまプラーザ」につながっている。小倉家は代々お百姓の家系。古い土蔵があり、そこに貼られていた「護符」がふと気になったところからこの旅ははじまった。その護符には黒々しい犬が描かれていて「オイヌさま」と呼ばれているという。毎年張り替えられるこの護符はどのようにしてやってくるのであろうか。著者はその流れを遡りはじめた。
百姓の神様「オイヌさま」は講からもたらされていた。その「御嵩講」(みたけこう)という古くから土橋にある行事は、「武蔵御嶽神社」という山の世界への入り口へと向かい、やがて「御師」(おし)という山びとに導かれ、山の神への一年の無事と豊作・豊漁をお願いするという流れだ。著者は何百年も続いてきたこの流れを素直なおどろきとともに、いとおしむように記録していく。
この柔らかい視線は祖父母ゆずりのようだ。祖父の布団に弟が、祖母の布団に著者がもぐり込んで、祖母の語りを聞きながら二人は眠りについた。「さるカニ合戦」や「桃太郎」はもちろん、すこし大きくなると「さんしょう太夫」や「青の洞門」なども絵本などつかわずに「そら」で語ってくれたという。祖母は主人公が窮地に立たされる場面になると「あなたならどうする?」と幼い著者を覗きこむ、悪者をコテンパンにすると答える著者に、祖母は「一寸の虫にも五分のたましいがあるぞ」と言い聞かせたという。
懐かしく甘酸っぱい記憶がよみがえってきて鼻の奥がキュンとなる。夜の闇が祖父母を連れ去ってしまうのではないかと思い、幼い著者は布団のなかで涙が止まらなくなる。読みながらもらい泣きしてしまいそうだ。この本の魅力のひとつは著者のような経験がない読者もこのような記憶を共有できることなのかもしれない。もちろん、その記憶とは著者のこどものころのことだけではない。山とオオカミへの素朴な信仰、信仰をつなぐための山の人と里の人の行き来、丹精込めて作られるタケノコ山、里にのこる「べーら山」など、人々と土地に刻まれた古代からの記憶だ。
ところで、武蔵御嶽神社総建の言い伝えは崇神天皇七年だ。「太占」(ふとまに)という古代から伝わる鹿の骨を使った占いがいまでも行われているのは、群馬県富岡市の貫前神社と二社だけであるという。ほぼ二千年にわたり、都が西にあったため、東国は未開の地のように考えてしまいがちだが、むしろ東国にこそ古代の記憶が残っているのかもしれない。この本は古代や絶滅したニホンオオカミをめぐる記憶などを共有することができる今年一番のおすすめ本だ。