本書のテーマとなっている宇宙エレベーターについては、SFの世界で長らく定番ネタとして扱われてきたものである。宇宙から地球に向かってケーブルを垂らし、そのケーブルを伝ってゴンドラのような乗り物が、摩擦を利用して昇っていく。ケーブルの全長は約10万km。仮に1フロアの高さを3mと仮定すると、地上33,333,333階建ての高層ビルに匹敵するスケールを持っている。まさに雲をつかむ、どころか星をつかむような話だ。
これを本書では、2020年代から2030年代の間に実現可能と予測する。背景には、1990年代におけるカーボンナノチューブの発見という出来事があった。現時点では実験室レベルに留まっているものの、鋼鉄の約400倍の強度を持ち、信じられないほどの柔軟性持つ新たな素材が見つかっているのだ。
著者の一人は、このカーボンナノチューブ性のケーブルを使えば、宇宙エレベーターが自重や、貨物の重さに耐えうることを証明した人物である。だが、本書がアメリカで刊行されたのは2006年のこと。その後もカーボンナノチューブ実用化の動きが聞こえてこないところをみると、もう少し先の話になるのかもしれない。
宇宙エレベーター構想の歴史は、1960年代に遡る。旧ソ連やアメリカの科学者からの提案によって始まったのだが、エポックとなったのは、ある科学者が宇宙エレベーターに関する情報を、アーサー・C・クラークに提供したということだ。
1979年、クラークはその情報をもとに『楽園の泉』を出版すると、宇宙エレベーターはたちまち広く世に知られるところとなる。その後も、キム・スタンリー・ロビンスンの『レッド・マーズ』、クラークとスティーヴン・バクスターが共同執筆した『太陽の盾』など、宇宙エレベーターをテーマとした作品が相次いだ。
一方で、SF作家が作品というアウトプットを通してその一端を担ってきたのと同じように、科学者たちは思考実験というツールを通し実現へ向けて歩んできた。その模様は、本書でも存分に描かれている。
たとえば宇宙からのケーブルが地球と接触する部分に設置されるアース・ポート。この建設場所を考えるには、緯度、熱帯低気圧、軍事面、国際空港からのアクセスなど、様々な観点から考慮される必要がある。現時点で適した場所と言えるのは、ハワイ南方の太平洋上と、オーストラリア・パース西方のインド洋上の2箇所のみであるという。
面白いのは、科学的事実に基づく科学者と架空を描くSF作家の役割が、次第に入れ替わっているようにも感じられるということだ。思考実験はファクトという制約の中でイマジネーションを志向し、SFは虚構という世界の中でリアリティを追求する。科学者たちは、現時点では急を要しないと思われるような細かいところまで分け入って、シナリオライターさながらに考え抜いていくのだ。そのいくつかを紹介したい。
◆ロケット産業からの抵抗について
”おそらく、ロケット産業界は宇宙エレベーター建造計画に抵抗するにちがいない。それを回避するためにはなんらかの措置を講じる必要がある。しかし、宇宙エレベーターの運航によって、エレベーターの末端部分から月などの天体に向けた宇宙ロケットの打ち上げ市場が新たに誕生する。”
◆アース・ポート設置に伴う地元住民からの反対について
”この点に関しては朗報がある。つまり、アース・ポートの理想的な建設場所は海上であり、陸地から遠く離れた場所だということである。したがって、皆さんの自宅がある場所の資産価値が下がることはなく、皆が安心できるというわけである。”
◆宇宙空間の軍事利用について
”実用性という観点から言うと、宇宙からのミサイル攻撃は、地上のミサイル・システムに比べて効率が悪い。目標に到達するまでに数時間を要するのである。また、容易に追尾が可能だという欠点もある。”
たしかに、宇宙エレベーターが及ぼす影響は、科学に閉じた領域ばかりではない。それによって得られる政治的権力、軍事力、エネルギー資源、国家の威信、投資収益、新種の不動産など、一つ一つ潰そうとするディテールへのこだわりからも、著者たちの本気感が伝わってくる。
16世紀以降、当時の主要国が、新大陸への進出を競ったときと同じように、宇宙開発を行う国が、月や火星など太陽系の宇宙空間への進出を互いに競うようになる時代が、すぐそこまで来ている。だが当時と大きく状況を異なるものにしているのが、宇宙エレベーターの持つ、費用効率の高さである。ロケットの打ち上げに頼っている国に比べて95%の費用優位性を持っているのだ。このまさに「早いものが一人勝ち」という構図が、競争をより一層熾烈なものにする可能性は高いだろう。
新たなフロンティアの出現にともなう期待感。そしていざその状況に直面した時、人類は内なる多様性だけでなく、外なる統一性を兼ね備えることが出来るのだろうか?宇宙エレベーターという構想が提示しているのは、そんな外側からの新たな視点だと思う。
版元であるオーム社が出版する宇宙エレベーター関連の書籍は、『宇宙エレベーター―宇宙旅行を可能にする新技術―』『宇宙エレベーターの物理学』に続いて3冊目。宇宙エレベーター協会という団体が、「オーム社は宇宙エレベーター関連書籍における世界最多の発行元」と賛辞の言葉を送っているのを見つけた時には、思わず「知らんがな!」の言葉が脳裏を埋め尽くしたが、これについては胸のうちにしまっておきたい。
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オーム社の宇宙エレベーターシリーズ
言わずと知れたSFの名作たち。