高野秀行さんといえば東南アジアの西南シルクロード踏破やケシの栽培地域への潜入といった破天荒な探検でしられる作家だ。私の大学の探検部の先輩でもある。今度の旅の舞台はアフリカの一角に存在する小国ソマリランド。無法と暴力が蔓延るソマリア国内において、どういうわけか民主主義と治安を回復し、独立を謳った「謎の国家」だという。
ソマリランドは国際的には国家として認められておらず、あくまでソマリアの一部という扱いを受けている。そのためか、ソマリランド自体は平和なのに、治安が極端に悪いソマリアの他の地域と混同され、訪れるジャーナリスもほとんどいない。ビザの取り方も入国も方法も分からない。詳しい国情は誰も知らない。なんでここだけ平和なの? そんな政治的秘境の臭いを高野さんは目ざとく嗅ぎつけたわけだ。
実際に行ってみると、驚かされたのはソマリランドが平和なことだけではなかった。ソマリア国内には他にもプントランドという「海賊国家」が別にあり、さらに首都モガディショのある南部ソマリアは、強い者が弱い者を支配する漫画「北斗の拳」のような世界になっていた。高野さんはソマリランドの平和の謎を探るために、混乱を極めるプントランドと南部ソマリアにまで旅の触手をのばしていく。そうして結局ソマリア国内全土を旅することになるのである。
もちろん本書でも高野節は健在だ。銃弾の飛び交う町にいても悲壮感はまったくない。毎日のように地元の人が開く午後の宴会に顔を出し、彼らが嗜むカートという覚醒作用のある草を一緒になってばりばり食べ、心地よくなったところでとっつきにくいソマリ人から次々と本音を聞き出していく。その取材手法はひとつのマジックだ。ソマリアといえば海賊が有名だが、高野さんは本書の中でその必要経費まで見積っている。海賊行為をはたらく場合、人件費や武器などのレンタル代など、ざっと五〇〇万円が必要となるという。もちろんこれもカートを食いながらの雑談だが、それにより海賊がどのようにビジネスとして成立しているのかをみせるところが、マジックのマジックたる所以である。
この本で、なぜ高野さんがこれほど現地の人にとけ込めるのか、私はようやく分かった気がした。彼は初めから自力で旅をすることを放棄しているのだ。フィールドの違いはあるものの、たとえば私の場合、すべて自分でその場の状況を把握し、旅の続行の可否を自分で判断しようとする。つまり全部自分の力で旅を完遂させようとする。一方、高野さんはそんなことはハナから考えていない。旅の主導権を完全に地元の人に委ね、彼らに守られながらモノが運ばれるように旅をする。そうすることで自分自身が現地人化し、内側から社会を俯瞰する視点を獲得する。だから文化や民族への理解が深くなるし、自分でも予期しなかった出来事が起きて本も面白くなる。
それにしても、こんなに高野さんが生き生きとしている本は久しぶりだ。『西南シルクロードは密林に消える』以来ではないか(その他の本をすべて読んだわけではないが……)。書くことがたくさんあってしょうがない、筆が動いて仕方がないといった感じを読んでいて受けた。きっとこの本の読者の多くは思うにちがいない。自分もソマリランドに行ってみたい、と。私も思わず結婚したばかりの妻に提案してしまった。「新婚旅行はソマリランドにしようか」。もちろん即座に却下されたが……。
※レビュー内に一部、数字の誤りがございました。高野秀行さまより、twitterにて下記の指摘がございましたので、謹んで訂正いたします。
“@daruma1021: 角幡唯介が『謎の独立国家ソマリランド』の書評を書いてくれた。感謝。ただし海賊を雇う費用(初期経費)は5800万円じゃなくて500万円だよ~”
角幡唯介
1976年北海道芦別市生まれ。探検家/ノンフィクション作家。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2001年、ヨットで太平洋を航海後、ニューギニア島トリコラ北壁初登。02〜03年、長らく謎の川とされてきたチベット、ヤル・ツアンポー川峡谷の未踏査部を単独で探検する。03年朝日新聞社入社、08年同退社、同年ネパール雪男捜索隊隊員。10年『空白の5マイル チベット、世界最大のツアンボー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。次作『雪男は向こうからやって来た』(集英社)は12年に第31回新田次郎文学賞を受賞。近著に『アグルーカの行方』『探検家、36歳の憂鬱』(文藝春秋)がある。
ブログ:ホトケの顔も三度まで