突然、「この本めちゃくちゃ面白かったです。ジャケ買いして一気読みしました」というメールがHONZ宛てに届いた。送付元は、以前にもメールのやりとりをしたことのある、大変な読書家でHONZを応援して下さっている心臓血管外科医の望月先生である。確かにソソるカバー。面白い本ならではの「匂い」が、表紙からすでに漂っている。しかも望月先生のご推薦とあらば、読まねばなるまい。というわけで手に取ったのが本書である。
ヴィオラ奏者であった著者は、2003年のある日、渋谷の弦楽器店を訪れた。先客の小学校低学年の男の子が、古いショーケースを覗きこみ、一緒に来ていた母親に向かってこう言った。
「お母さん、こんなに小さなチェロがあるよ」
実は20年前、高校生だった著者は、上京し、初めて訪れた同店で、緊張に身を固くしながら同じショーケースを覗き込んでいた。しかし、この「小さなチェロ」の存在には気付かなかった。
ショーケースのガラスに男の子と著者の姿が重なるように映る。著者は、男の子の言葉をきっかけに、20年前から確かにそこにあったが当時は注意を向けることのなかったその奇妙な楽器に、魅了されることになるのだ。
「チェロにしてはあまりに小さすぎ、ヴィオラにしては大きすぎる」その楽器は、数十年前に船便で店に送られてきたという。「船便で」というのは、「その他大勢」扱いということ。修理が必要な楽器やあまり価値のない楽器とともに「箱買い」で購入され、この楽器店に届いたのだ。
当初、生まれて初めて見るこの楽器を、著者は、少年が言ったように「子供用のチェロ」だと思った。しかし店主は否定する。
“「聞くところによると、『ヴィオラ・なんとか』といって、どこかの国の博士が作った由緒正しいものらしい」”
傷も割れもなく、姿形も端正で美しい。演奏会の話の種になるかも、と、著者は軽い気持ちでその楽器を借り受けた。
表板はドイツトウヒ、裏板と横板はイタヤカエデと、ありふれた木材が使用されているが、糸巻きや指板などは貴重な黒檀で作られていた。じっくりと眺めているうちに、著者はどんどんこの楽器の佇まいを好きになっていく。
“この謎の楽器の渦巻き(スクロール)は端正で、すこぶる美人だ。計算されたカーブで、これを彫り出した刃物の使い込まれた鋭利さを感じさせる。
私が楽器の「顔」だと思っている、楽器の「括れ」、「f字孔」、「弦」の配置のバランスはどうだろうか。(中略)
一見してクールだ。女性ならあまり化粧っ気もない、よき家庭人の顔といえるだろう。陰のある印象はまったくない。深くなにかを突き詰める感じでもない。冗談を言って爆笑することもなさそうだが、面白みのない人柄でもなく、いつもなにかに微笑んでいるようだ。
「顔」はほぼ左右対称で、楚々した長身の美人だと思える。”
そんな端正な楽器の胴の内部には、「永い時を経てセピア色になった紙」が貼りつけてあり、活版印刷で次のような文字が記されていた。
“Viola alta”
ヴィオラの魅力は、鼻にかかった響き、なんともいえない、「もどかしいほどにくすんだ音」である。しかし、このヴィオラ・アルタの音は違った。初めて演奏会で弾いた際、著者は不思議な感覚に陥る。
“不思議な音色だった。自分で弾いているのに、音が遠くから歩み寄ってくるようだった。”
端正で明瞭、それでいてゆっくりと空へ飛翔するような穏やかな音。著者の演奏会を聞いた聴衆からも高い評価を得る。
“なぜ、これほど人に愛される音を持ちながら、誰も弾く人がいなくなり、迷子になっているのだろうか。”
よく見ると、楽器には、数字が記されていた。楽器裏面上部には47とある。測ってみると裏板の長さは寸分違わず47cmだ。黒檀でできた指板とネック部には4351とある。指板の胴側の端から、渦巻きの前までの長さを、1ミリ以下まで正確に測れる定規を借りて測ると、こちらもぴたりと43.51cm。
これらの数字は、複数の工房による分業体制のもと、この楽器が大量に作られたことを示唆するものだ。そして、この設計の精密さは、楽器の奏でる音のイメージを、デザインする段階からきっちりと計算していたことを意味する。ヴィオラ・アルタは、製作者の感性に基づく芸術作品というより、細部まで計算され尽くされた実に精緻なプロダクトであるようなのだ。
ヴィオラ・アルタはかつて数多く生産された。そしてすっかり消えてなくなってしまったのだ。
今一度、胴内のセピア色の紙をよく見ると、次のように記されている。
ヴィオラ・アルタ
ヘルマン・リッターモデルを製造することを許可する
フィリップ・ケラー、ヴュルツブルグ 1832年創立
1902年製 バイエルン王国宮廷御用達商人 No.52
これを手がかりに、著者は、東京芸大の図書館で各国の音楽事典を漁り、まずは、ヘルマン・リッターの名を見つける。
ヘルマン・リッターは、一流のヴィオラ奏者であり、同時に音楽史、楽器史を究める学者でもあった。そして「ヴァイオリンの音響特性を損なうことなく正確に拡大された新しい楽器」を作ることに心血を注ぎ、ヴィオラ・アルタを作り出した。この楽器はワーグナーに気に入られ、リッターは、ワーグナーの主催するバイロイト歌劇場オーケストラの首席奏者に招かれる。さらに自身の楽団「リッター四重奏団」を率いてヨーロッパ中で演奏し、宮廷楽団の奏者やヴュルツブルグ王立音楽院のヴィオラ科と音楽史の教授も務めたという。
リッターは、偉大な奏者であり、作曲家であり、後進を育てたのみならず、楽器の改革者としてもひとつの歴史を残した。
“リッター教授は、大きな音楽史上の物語を紡いだ人物ではないのか。”
著者は言いようのない畏怖の念に襲われる。
知ることで疑問はさらにふくらむ。彼はなぜヴィオラ・アルタを作ったのか。ワーグナーはなぜヴィオラ・アルタに魅せられたのか。弟子たちがいたにもかかわらず、ヴィオラ・アルタはなぜ捨てられて、歴史から消え去ろうとしているのか……。
あるとき、著者の脳裏にかすかに残っていたある記憶が蘇る。学生時代、ヴィオラのための曲を探し、研究していた若い日、著者は不可解な言葉に出会っていたのだ。
それは、フランツ・リストのヴィオラとピアノのための楽曲「忘れられたロマンス」の楽譜に書かれていた。大学の図書館で見つけた、作曲家自身が書いたオリジナルに近いヨーロッパの楽譜に、奇妙な献辞の言葉があったのである。
「ヴィオラ・アルタの発明者、ヘルマン・リッター教授に」
当時はまったく理解できなかったが、今ならわかる。高校時代に一度、楽器店のショーケースでヴィオラ・アルタとすれ違っていた著者は、実は、大学時代にヴィオラ・アルタのために書かれた曲にも出会っていたのだ。
のちにわかったことだが、ワーグナーがバイロイトで初演した「ニーベルングの指輪」を見に来ていたリストは、リッターが弾く新しい楽器・ヴィオラ・アルタの音色に感銘を受け、この「忘れられたロマンス」を作曲したのだ。
さらにリストは、リッターをパリの自身のサロンに招いた。そして自らのピアノ演奏とリッターのヴィオラ・アルタ演奏でこの曲を初演した。当時、リストはパリのサロンにおけるスーパースターであり、リストに招かれた音楽家には、サン=サーンス、リスムキー=コルサコフ、グリーグなどがいた。そんな錚々たるメンバーの中に、リッターは居たのである。
さて、本書のメインストーリーは言うまでもなく、ヴィオラ・アルタをめぐる「謎解き」であるが、実は、その本筋を外れて語れるエピソードやサイドストーリーもとても魅力的だ。
例えば、ヴァイオリンなどの型を作ったのは職人ではなく、例えばダ・ヴィンチのように才能あふれた企画立案デザイナーだったという推理。現在のプロダクトデザイナーと工場の関係のように、楽器デザイナーが図面を引き、型を起こして、ストラディヴァリら職人に提供していたのではないか、という説を、著者は紹介する。
あるいは、豊後のキリシタン大名の大友宗麟のエピソード。宗麟は外国人宣教師から指導を受けた日本人の子どもたち奏でる弦楽器の調べに感動し、その名を聞く。宣教師はムジカ(musica)と答え、宗麟は、新しい領地に無鹿と名付けたという。また、宣教師からヴィオラを学んだ子どもたちは、宗麟の前で演奏し、賞賛されたが、そのヴィオラは実は現在のヴィオラではなく、その原型であるリラ・ダ・ブラッチョという楽器であり、その楽器からヴィオラが生まれ、さらにヴァイオリンが生まれたのだ。
そして楽器の響きが秘める「哀しみ」の話。かつてはクラシックの音楽家も、いわば旅芸人であり、演奏会は興行だった。遠く故郷を離れた彼らは、自ら作曲した音楽の中に、懐かしい故郷の民謡=フォルクロアの「哀しい」旋律を盛り込んだ。
その哀愁あふれるフォルクロアの響きを、著者はまずパガニーニに重ねる(実はパガニーニこそ、ヴィオラ・アルタの原型を創り出した人物かもしれないという)。そしてそれだけでなく、著者自身のフォルクロアとして、下町浅草で数々の民謡を弾きこなす、アコーディオン奏者にして名司会者、今三次師匠を取り上げ、大衆芸能を支える「優れた手癖」に言及しつつ、クラシックの優れた演奏家も、総じてよい筋の「手癖」を持っていると語る。
これらの話は、クラシック音楽をめぐる風景をぐっとリアルにする。そればかりか、本書の構造の重要な一端を担い、ヴィオラ・アルタの物語をますます輝かすのだ。
さて、話を戻そう。
わずかな手がかりから、少しずつ、ヴィオラ・アルタの真実に迫る著者にとって、大きな契機となるのは、オーストリアのグラーツフィルハーモニー管弦楽団のヴィオラ奏者、カール・スミスという人物からの一通のメールだ。
実は著者はネット上で世界中にヴィオラ・アルタに関する情報提供を呼びかけていた。スミス氏も偶然ヴィオラ・アルタに出会い、その謎の楽器に魅せられていた。そして”viora alta”でググったところ、著者の名前が真っ先に出てきたため、驚いてメールを送ったのだという。
ヴィオラ・アルタに魅せられた二人の人物の出会い。情報をすり合わせることで、よりいっそう、「謎の楽器」の本当の姿が浮かび上がる。
そして特筆すべきは、二人が、おそらく世界でたった二人のヴィオラ・アルタ奏者である、ということだ。そしてスミス氏の発案で、リッターの没後、約80年ぶりにヴィオラ・アルタだけの演奏会が行われることになったのだ。
著者はヨーロッパに飛び、グラーツでスミス氏と最初の音合わせをする。二人とも期待で胸をふくらませていた。なにしろ、自分以外の人間がヴィオラ・アルタを弾くのを聞いたことがないのだ。
曲はリッターがヴィオラ・アルタ用に編曲した、ミヒャエル・グリンカのノクターン「別れ」。二人は同時に、張られた弦に弓を置いた。
“たちどころに、ひとりのときとはちがう、別の響きが鳴り響いた。スミス氏は目で、「これだ」と合図を送ってくれた。そこから聴こえてきた音は、むせび泣くような響きの、弦楽器的な音ではまったくなかった。管楽器の澄み切った、抜けるような音にも似ているが、何かちがう。もう少し低い、唸りのようなものを肌で感じていた。”
著者ははたと気づく。その響きはある楽器の音色にそっくりだったのである。
さて、何の楽器だったのか。評者である私は、今、猛烈にそれを書きたい誘惑に駆られている。しかしやめておく。その楽器が、伏線となり、さらに素晴らしい結末へとつながる以上、書くわけにはいかないのだ。大げさな「感動物語」があるわけではないが、最後の下りを読みながら、不覚にも涙が流れてしまった。もちろん悲しみの涙ではなく、至福に満ちた涙である。
192ページ、700円の新書である。もしこのレビューを読んで少しでも本書が気になった方には、購入することを強く強くおすすめする。穏やかな休日の午前中に読み始めれば、日が暮れる前に読み終わることだろう。そしてその日は、間違いなく幸福な1日となるはずだ。
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