本書を読みながらまず思ったことは「おいおい、日本は太平洋戦争からまったく何も学んでいないじゃないか。」という一点だった。
もちろん、この歴史に学ばない日本については、様々な時局で指摘され続けていることは判っている。無責任きわまりない年金行政や、革新性を失い戦力を逐次投入し、衰亡する家電業界などがその代表例だろう。しかし、福島の原発事故とその事故処理を目にし、本書を読んだあとでは、この日本の体質は自らの身に迫る危機として感じることができるはずだ。
官僚の不正や大企業の非効率を非難するだけですむ時代はまだよかった。原発やいじめ問題など行政の怠慢による生命の危機や、大企業経営の失敗による大量失業などが迫ってくるいまこそ、日本人は腹を据えて、太平洋戦争から学ばなければならない。
この分野では野中郁次郎らによる『失敗の本質』という優れた先行書がある。ミッドウェー海戦やレイテ海戦など、日本軍の太平洋戦争での失敗の原因を追究する学際的な研究書だ。文庫版だけでも五十六万部も売れているという。『失敗の本質』が学者たちによる組織論的なアプローチをとっていたことに対し、本書はリーダーシップを論じている。『ノモンハンの夏』で山本七平賞、『昭和史』で毎日出版文化賞特別賞などを受賞した歴史作家の面目躍如だ。
たとえば、権限発揮もせず責任もとらないタイプとして、フィリピン防衛戦から敵前逃亡した富永恭次陸軍中将。権限発揮せず責任だけはとったタイプとして、ミッドウェイ海戦で大敗した南雲忠一海軍中将。権限発揮して責任とらないタイプとして、世界戦史上最も愚劣な作戦として有名なインパール作戦をひとり強行した牟田口廉也陸軍中将など、呆れるばかりの戦時リーダーがこれでもかと取り上げられるのだ。
本書の特徴は人物に目を向けたということだけではない。作家として実際にその人物たちに取材にいっていることだ。一説には三万二千人の戦死者(ほとんどが餓死者だった)を出したインパール作戦は、牟田口が参謀も全師団長も反対したにも関わらず強行し、作戦失敗後には師団長たちに責任を追わせて生き延びた。著者は戦後小石川に住んでいた、自国民に対する戦犯といってもよい牟田口を何度も取材に訪れている。
取材に向かったのは牟田口のような「悪者」ばかりではない。たとえば日本海軍最後の勝利となったルンガ沖海戦を指揮した田中頼三少将にも取材している。ルンガ沖海戦とはガダルカナル島に補給に向かった日本の水雷戦隊がアメリカの重巡洋艦隊を完全に撃破した戦いである。ちなみにハルゼイ提督をして「癪に触るほど立派な連中だった」と言わしめた田中は戦中であるにも関わらず左遷されている。
本書は戦史と人物を読者に投げつけるだけが目的ではない。現代に生きる企業経営者や政治家にとって、即効性のあるリーダー像も供する。すなわち
1.自分で決断
2.明確な目標を示す
3.権威を明らかに(我ここにあり)
4.情報の扱い
5.規格化された経験(成功体験)にと らわれない、
6.部下に最大限の任務遂行を求める。
というものだ。
さらに著者はこの理想的リーダー像を語るためには戦史から離れてみることも厭わない。本田宗一郎や倉敷レーヨンの大原總一郎などの名経営者との取材秘話も登場する。
じつは本書は著者の「日本近代史にみるリーダーシップ」という講演をまとめたものだ。そのため読者は講演独特の、話題が縦横無尽に駆け回る感覚と、受講者を意識したサービス精神、目をつむると鮮明に視覚化できる語り口を楽しむことができる。著者にとっては筆を持つことなく出来上がった本かもしれないが、本書に盛り込まれた内容は著者の六十年という作家人生のなかで蓄積されたエッセンスだから、講演会にいくための電車代や参加費を考えるとじつにお買い得なのである。著者も「私のたった一つの名講演(?)のネタが永久に失われた」とあとがきで嘆くほどだ。『失敗の本質』の五十六万部を超えることを期待したい。
(『文藝春秋』12月号「本の話」掲載)
まさに終戦直後、昭和20年9月に永野護が講演した記録を2ヶ月後にまとめて出版した驚くべき書。第2の敗戦ともいうべき現在の日本の状況は昭和20年に予言されていた。日本は同じ過ちを繰り返している。敗因として著者が挙げたほとんど全ての項目が、いま、日本のそのままに当てはまる。