鉄は朽ちる。特に日本のように湿度の高い土地では少し油断するとたちまち錆が生じ朽ち果てる。本書は朽ち果て行く鉄の道具を集めた写真集である。
鉄の美を語る上でよく引き合いに出されるのは日本刀である。本書には日本刀は登場しないが、日本刀にも錆を鑑賞する部分がある。それは茎である。日本刀の刀身は木製の柄にはめ込まれており、目釘という竹の釘で固定されている。目釘を抜き、軽く柄を叩くと茎と柄が緩み、刀身を引き抜くことができる。刀の手入れ時にはそのようにして刀身から刀装具を外し、手入れをおこなう。刀身は数百年間まったく変わらない輝きを放つよう丹念に手入れをするが、茎は錆びるにまかせる。手入れのあいまに刀身の煌めく美しさを鑑賞した後は茎の錆びた姿を鑑賞する。美しい鉄の姿とは対照的な渋く黒い錆を眺めながら刀が経てきた長い時間に思いをはせる瞬間でもある。このように鉄の煌めく美しさを愛でる刀の世界にも錆びた鉄を鑑賞する習慣があるのである。
さて本書の話に戻ろう。本書には様々な道具が登場する。万力やペンチといった工具類からハサミや缶きり、栓抜きなどの日用品。鉄下駄や鉄扇にアイロン、錠前。はては金魚すくいの骨組みまで。そのどれもが錆びつき磨耗しよく使い込まれていることが写真からうかがえる。そして朽ち始めているはずの道具のどれもが深みのある美しさを秘めている。
このように道具を使い込むという習慣は実は戦前までは特に珍しいことではなかったのかもしれない。たとえ工業製品であっても、現代の物よりも職人の手仕事で造り込まれた部分の多いであろう、これら写真の道具はどこか味があり性能だけに留まらない何か温かみのようなものすら感じる。こうした職人の技を注ぎ込んだ製品だからこそ、何十年も使われ続け、ときには世代を超えて受け継がれたのであろう。翻って現代の消費社会が生み出す道具はどうであろうか。洗練されてはいるが10年と立たず使い捨てられる道具類。それらは安価で手に入り、我々の暮らしを豊かにしてくれることは確かかもしれない。しかしそこに世代を超えて受け継がれるに足る道具としての価値は存在しないのではないか。父祖から受け継ぎ、子や孫に引き継いでいける道具を持つということは、使い捨てのような大量の物に囲まれた暮らしとはまた違った、垂直的に家族との絆を強めていく価値観を有する暮らしではないのだろうか。そしてそのような「道具」を所有することの贅沢さを、今を生きる私達は忘れているのではないか。もう一度「ものづくり」にそのような価値観を取り戻す必要があるのではないか。これら黒く錆、磨耗した道具を眺めながらそんな思いに駆られた。
名優が年を重ねるごとに渋みを増すように、これら使い込まれた鉄の道具類も深い渋みを備えている。そして、この道具を使い込んできた人々の温もり、ものづくりを極めた職人の眼差しを、冷たい鉄のなかに見出すことができるような気がする。