昨日、ビジネスHONZの合格者、すなわち新しく迎える仲間へのオリエンテーションがあった。鰐部祥平さんは残念ながら都合がつかなかったが、深津晋一郎さんと田中大輔さんが参加。オリエンテーションといっても、要するに飲み会で、結局本の話題を中心に、昔からの知り合いと話しているような、実に心地よい時間が流れた。というか、成毛眞がわれわれを新しいメンバーに紹介した言葉を借りれば、「要するに『おばちゃんの集まり』で、みんな、人の話聞いていないし、好きなこと話しているだけ」だけで、おっしゃるとおり、唖然とする深津さんや田中さんを前に、井上卓磨をいじりつつ、成毛眞、東えりか、足立真穂らと好き勝手に楽しく話して大変満足したのである。
成毛眞はもう一軒行く、と言う。この心地よい気分のまま、私も行きたかったがぐっと我慢した。そう、明日(というか今日)は私がレビューを書く日。しかし、まだ本さえ読了していない。電車のなかで読み終わり、早く帰ってPCに向かわねばならない。
電車に乗ると、運良く座ることができ、この本を開く。
前回ご紹介した『たった独りの引き揚げ隊』同様、数年前に出た作品を文庫化したものだ。2009年7月、日本百名山の夏山・北海道大雪山系の名峰トムラウシ山へのツアー登山で8人が死亡するという遭難事故を扱ったノンフィクション。天気がよければ中高年でも快適な登山が楽しめる夏山で、なぜ未曾有の大量遭難が起きたのか、その真因に迫った本である。
実は電車で座れたとき、一抹の不安があった。前日、前々日と2日間、私はほぼ徹夜状態なのだ。電車の乗り換えは2回あるのだが、そのまま寝てしまい、乗り過ごしてしまわないかーー。しかし、本書を開いた途端、そんな心配は吹っ飛んだ。面白い。目は活字に吸い寄せられ、眠気が消えた。
1章では、事故調査委員会の報告と生存者へのインタビューによって、事故に至る過程が再現される。一人、また一人と低体温症で体が動かなくなり、奇声を発したり、意識が混濁したりして座り込み、やがて冷たくなっていく。実に淡々とした記述だが、それゆえ、張り詰めた緊張感が伝わってくる。また、死に向かいつつあるメンバーを助けようと、何度も往復しながら進む者、最初から自分が生き延びることだけを考えて、一人で先を急ぎ、倒れているガイドを罵倒してそのまま先を急いだ者など、極限状態で人の行動は大きく異なり、もし自分だったらどうしただろうと、心が落ち着かなくなる。
生存者の証言が、それぞれに食い違うことも興味深い。真実はどこにあるのか。まるで「藪の中」を読んでいるような感覚に陥る。HONZで紹介されているような脳科学や心理学の本を読まれている方はご存知だろうが、人は勝手に過去の記憶を作る。それも都合の良いように。
例えば、久保、里見という2人の客はそれぞれ、低体温症で緩慢にしか動けなくなった大谷、阿部を支えながら下山を続けたが、途中で久保が「俺は生きて帰りたい、こんなことをしていても価値がない」と言い残して先に行ってしまう。その言葉を聞いて「はらわたが煮えくり返るぐらい頭にきた」里見はその後、たった一人で阿部と大谷(結局2名とも死亡)をサポートしなければならなくなるのだが、その際、久保が里見とともにサポートしていた時間は、久保自身の言葉だと「1時間ぐらい」であり、里見によれば「20〜30分」となる。(無意識の)保身や相手への怒りが2〜3倍もの差を生むというわけだ。
また、みんなに迷惑をかけるから濡れたままでいた、内心いやだったが、(ツアーの中止)を言い出せる雰囲気じゃなかった、自分はサブのガイドだからおかしいと思ったけど言わなかった、などなどの発言が多数なされているのも印象的だ。和をもって尊しとなす。「日本的遭難」という言葉が思い浮かぶ。
さてさて、ちょうどそんなことを考えているとき、私の乗っている電車は乗換駅に着いた。本を閉じて無事に乗り換え。その面白さで、徹夜の私を「寝落ち」から守ってくれた本書に感謝。
そしてふたたびページを開き、第2章、生き残ったガイドのインタビューを読みふける。彼はサブガイドで、メインガイドは遭難している。最後は登山者を置き去りにして下山を続け、途中で意識が混濁して倒れて翌日発見されて九死に一生を得た。
生存者たちは、彼が自分たちを見捨てたといい、逆にこのガイドは、助けを呼ぶために早く降りた、という。ガイド自身、低体温症で意識がおかしくなっていた。テントを持っていたにもかかわらず、それを張ることなく、ザックに入れたまま下山を続け、携帯電話で助けを呼ぶことも思いつかなかった。意識が混濁する直前に、携帯電話を取り出すが、延々とでたらめな番号を押し続けた。そんな彼の言葉には、保身や責任逃れ、言い訳がもちろん、ある。ただ言葉の端々から、この事故が彼の人生を狂わせたことが感じられて痛々しく、人の性そのものが、心に迫るのだ。
私はここで顔を上げた。あと10分ほどで乗換駅。まったく眠くない。ノンフィクションは睡魔撃退に最適であることは、このレビューを読んでいる皆さまも覚えておくとよいだろう。
3章以降は専門的になる。天気図やグラフを援用して当時の気象状況が示され、専門医が低体温症について詳細に記述する。運動生理学の観点から登山者たちの体力などが論じられ、ツアー登山の問題点が指摘される。著者たちや出版元である山と渓谷社には、これ以上、夏山での低体温症での遭難者を出したくない、という強い思いがあり、それこそが本書の第一の目的であるがゆえだ。記憶にある人も多いと思うが、今年の5月の連休にも白馬で6人、爺ヶ岳で1人の中高年登山者が低体温症で亡くなった。著者らには忸怩たる思いがあるだろう。
ただ専門性が高いこと=つまらない、というわけではない。特に医師である金田正樹が書いた低体温症についての記述には豊富な事例が多数載っていて、夢中で読んでしまった。生存者の検査の結果や遭難者が死亡するまでの経過の推測、遭難者が無事下山した後に訪れる精神的高揚によるハネムーン期とその後に訪れる幻滅期など、メンタルに関する記述も興味深かった。そして、まったく本書の本筋からは外れるのだが、例えば、イランのイラク国境付近でクルド人難民の治療に当たった著者の経験として、栄養の行き届かない赤ん坊たちが、布おむつを替えてもらえないという理由だけで低体温症で次々に死んでいき、おむつ用の布を日本大使館に求めたところ、その後2003年にイラク銃撃されて亡くなった奥克彦一等書記官が、真摯に対応してくれた話などのエピソードも面白い(面白い、という言葉は不謹慎かもしれないが……)。
そして、ちょうどそのとき、電車が止まった。顔を上げるとまったく見覚えのない、生まれて初めて降りる駅。まあ簡単に言うと乗り換え忘れ、そのまま終点まで来てしまったわけだ。外は暗く、乗客はほとんどいない。「もう上り列車はありません」のアナウンスが無情に響く。本書が、眠らなければ無事に家に帰れるというわけではない、という貴重な教訓を私に与えてくれた瞬間である。
こんな切ない体験にもめげず、私は本を読み続け、朝7時7分現在、こうやって原稿を書いているわけだ。なにやらまとまりのない断章のようなレビューになっているのはそういうわけで、ご容赦頂きたい。
なお本書には朝日新聞の記事が度々引用され、事故後の新聞報道がいかに誤っていたかも示される。もちろん新聞は書きっぱなしで訂正記事など出ていないだろう。新聞の報道は、軽装で登山をなめていた中高年登山ツアー客と、ダメなガイド、儲け主義のツアー会社、という実に安易な物語に収束してゆく。そういった浅薄なものの見方と貧困な想像力から常に遠くにいるためにも、やはり本を、ノンフィクション作品を読むべきなのだ、と私は深夜のタクシーのなかで強く思った次第である。
言うまでもなく、この内容で950円+税は安い。私にとっては950円+税+タクシー代9390円+高速料金の大変高い買い物となってしまったが(泣)。
本書の著者のひとりで、本文でも触れた金田正樹の著書。
こちらも。スゴイ人だ。